LORANの日記
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2006年08月29日(火) 大自然への畏敬


「大自然への畏敬」が失われたことはとても大きな間違いだと思います。

かっては病気は悪魔の仕業と信じられて、悪魔払いや魔女狩りが行われました。

ヨーロッパでペストが流行したとき、死体と患者と魔女を焼き殺したこともあります。


科学が発展し病原菌が発見されてから、病気は病原菌が原因と判明しました。

病気と悪魔の関係は解消し、魔女狩りが無くなったことは良かったと思います。


科学の発達は僅かな知識をもってすべてを測る危険をはらんでいます。

科学がそれまでの宗教に代わっただけですから、人間は科学的知識を盲信しています。

間近に見る月に行くことが精一杯の科学で、宇宙をすべて知ったような錯覚をしています。


宇宙の運行はニュートンが唱えた「万有引力の法則」で説明ができたと思っています。

その宇宙の創造も、「ビッグ・バン」が起こったと簡単に一蹴してしまいます。


科学万能は、正に「浅知恵」と呼ばれるものに過ぎません。

「なぜ宇宙は創られたのか?」「宇宙の創造主はだれなのか?」「宇宙の運行の管理者は?」

などにまったく関心がありません。


「地球が創られた意図は?」「なぜ人間は創造されたのか?」「人間はなにを創造しているのか?」

「人が亡くなったらどうなるのか?」「輪廻転生の意味は?」などの疑問には触れないでいます。


そしてただただ快楽的、享楽的な現実を好み、その現実が大自然を破壊していても関心がありません。

それは政府や研究機関の仕事であり、自分は命じられたことだけしていればいいのだと。


これはかって無限に近い永い期間を奴隷として生きてきたDNAが選択している生き方なのでしょう。

これが土着地球人類の基本的な生き方のスタイルであろうと思われます。


2400年前に現れた釈迦や2000年前のイエスは、そのような奴隷的土着地球人類へ気づきを

もたらすために派遣された存在であったのでしょう。


その後も数多くの存在が派遣されてきましたが、そのほとんどは無視されるか迫害されました。

その中でも一定の成果を挙げた存在もいましたが、その教えは曲解され書き換えられました。


そして真意は多くの人々に伝えられず、また気づくことなく闇に消えていきました。

いまもまた、多くのメッセージが届けられていますが、大部分の人々は日常のマスメディアの方を

信じています。マスメディアは気づくことを妨害するツールです。


かって科学が発達する以前は、大自然への畏敬がありました。

これは単なる迷信や脅しによる恐怖ではありません。


テレビやラジオや新聞、雑誌などがない時代は、誰でも圧倒的に巨大な大自然の中に身を置き、

大自然の大きな営みを感じ、その中で生きてきました。それは特別なことではありませんでした。


中には傲慢不遜な輩(やから)が、わざわざ大自然を冒涜する所業をする者もいました。

そのような輩は大自然の大きな力に叩きのめされました。それが伝説となっています。


関東・秩父の山奥の中津川の杣人(そまびと)=木こり、炭焼きの間に言い伝えられている伝説を

遠藤ケイさんが本にまとめています。


その傲慢不遜な人々と今の一般の人々はまったくと言っていいほど酷似しています。

山の神や川の神から天罰を受けた輩と私たちは一緒なのです。


いつの間にか宗教の支配に対する反動が科学への盲信へ走ったのは理解できますが、自分の中の

神性にいつまでも気づかないのは問題でしょう。

そこにマスコミによる快楽的、享楽的生活への誘惑があります。


自分が気づかないのは自分の選択であることを忘れてはいけないと思います。



参考図書 : 「おこぜの空耳(そらみみ)」  遠藤ケイ著  かや書房刊



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