LORANの日記
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2006年06月02日(金) 幸せと不幸せ



幸せを願わない人はいません。

家族が健康で、仲良く暮らせる幸せを願うのは当然です。


ここまでは誰も異存は無いでしょう。

しかし、幸せを達成するための方法論や考え方は千差万別です。


幸せになるための必要条件が違うことが原因です。

価値観や主義、信条など一人ひとりに違いがあります。



誰からも認められ、愛されることに心を砕く人は多くいます。

世間一般の常識や良識を優先している人も多くいます。

最大公約数的な意見を信じる人も多くいます。


こうして殆どの人の考え方は同じようになります。

みんながそう言っているとか、そうしていることが当然になります。

常識的に生きることが当然であり、よい市民、国民であるという考えかたです。


こうなると、反対意見を言えば社会を敵に回すことになります。

会社で出世することも、社会で認められることも困難になります。

ですから、「長いものには巻かれる」とか「出る杭は打たれる」のように、

反対でも意見は言えない風潮があります。


このような社会での幸せとは、自分の思いや感情を抑圧した上に存在します。

抑圧された感情は病気の原因にもなります。



その反対に、自分が信じるところに従って生きる幸せもあります。

社会的には認められなくても、評価されなくても、自分の心のおもむくままに

生きる幸せもあります。


その生き方を不幸と見る人もいるかも知れません。

でもその人が選択したのですから、それでOKです。


ですから幸せと不幸せは単なる価値観などの相違によることが殆どです。

その価値観を誰にも強制や押し付けをしてはいけません。


社会、国家、民族、宗教などは、この価値観を強制し押し付けます。

私たちはその動きに同調しなくてもいいのです。





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