LORANの日記
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2006年05月16日(火) 「差別に悩む半生」に思う


 (前文略)(ハンセン病だった)両親は将来のことを考えて、女性を戸籍から外していた。女性は学校、職場で、「両親は死んだ」と話した。結婚相手にだけは両親の存在を告げたが、「(自分の)親に決して明かしてくれるな」と言われて、従った。
 30代の時、父が危篤になり、敬愛園に駆け付けた。「このままの状態が長く続いたら、(留守にすることを)家族や職場に何と説明しよう」と悩んだが、父は間もなく息を引き取った。「何くわぬ顔をして戻った」というが、家族にうそを言うなどし、父を十分にみとることができなかったのではないか、という自責の念からその後、離婚。母も亡くなった。(中略)
 女性は約20分間、時折、声を詰まらせながら語った。「私はなぜこの世に生まれてきたのかを問い続ける。恐怖から解放された時に、両親に『産んでくれてありがとう』と心から手を合わせられるような気がします」                       (毎日新聞 2006年5月15日 東京朝刊)


このような記事を目にしました。

人は差別が大好きです。ですから差別はなくならないと思います。

人の心の奥には劣等感があり、自分の怒りを弱い立場の人の差別やいじめへ向けます。

ですからこの方のように皆が差別を止めてくれるようにと願っても、「百年河清を待つが如し」でしょう。


私は差別やいじめを肯定しているのでは決してありません。正直に分析しているだけです。

人はとても残酷な生き物ですし、話し合いでわかってもらえるような生易しい生き物ではありません。


その証拠に、科学や文化が発展しても戦争はなくなりません。犯罪も暴力もなくなりません。

20世紀に1億人以上の戦争の死者がでても、性懲りも無く今も戦争を続けています。

平和憲法を持つ日本でさえ、軍事費を5兆円も使う米、ロに次ぎ3位に入る軍事大国なのですから。


もっと冷静に観察しなければなりません。安易な考えは大怪我の元です。

「人は愛」も一部は真実ですが、殺人者もいますし自殺へ追い込む悪人もいます。


表と裏はまったく違うのが人間社会です。法律に違反しなければ、と言うより逮捕されなければいいのです。

アメリカの横暴は目にあまりますが、「弱肉強食」の世界ですから弱い者は服従するだけです。


教育で「自由・平等・公平」を教えていますが、これは法治国家としての基準に過ぎません。

裁判などで、法の適用が平等であると言っているに過ぎません。これは特別の場合のことです。


実際には身体能力も、思考能力も、身長も、体重も、視力も、健康もすべて違うではありませんか。

その結果、異性にもてる人もいれば、もてない人もいます。


親のお金で働かなくても生活できる人もいれば、孤立無援で働いて生活している人もいます。

働きたくても健康や身体の条件が悪くて働けない人もいます。これでも公平と言うのでしょうか。


「自由・平等・公平」などと言う言葉は、無力な人への慰めにすぎないことは明白です。

そうでも言わなければ革命が起こるかも知れないからです。

ですから「自由・平等・公平」を信じている人は単純でおめでたい人なのです。


こんな世界に生きているのですから、他人が変わることを期待しても無駄でしょう。

いつか皆が差別をやめて自分にやさしくしてくれるようにと願っても、不可能でしょう。



ではこのような社会に生きる私たちは、どう生きたらいいのでしょう。

簡単に言えば、相手に依存しないで生きる方法しかありません。


相手に愛して欲しいとか、認めて欲しいとか言ったら、相手の支配下に入ってしまいます。

痩せても枯れても、一国一城の主(あるじ)となって、誰の支配も受けずに超然と生きるだけです。


そのためには、自分の感情を開放し、自分が一人で生きる力を取り戻す必要があります。

この世界はあなたが自分の力を試すために用意されています。


どうぞ思い切り自分の力を試してください。

きっと明るい未来が待っていると思います。



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