LORANの日記
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今の住まいの南100mに小学校があり、東100mに中学校があります。
一昨日は中学校の運動会でした。その前の3日間は練習で太鼓や歓声が響いていました。
昨日は近くに住む孫の通う幼稚園の運動会でした。
雲一つない好天に恵まれ、終日立ちっぱなしでとても疲れました。
子育てしていた頃は夢中でしたから、ほとんど何も気にしないでいましたが、
いまこうして第三者的な立場で運動会を見ると、気づくことが多いのです。
先ず、学校側のデモンストレーション的な意味合いが強いのです。
ことに幼稚園などは4〜6歳の幼児に芸を仕込むことが教育であると思っているようです。
それが好きな子どもは満面喜悦の趣で得意気に演技しています。同慶の至りです。
不得意の子どもは先生や父兄の顔色をうかがいながらの演技でお気の毒です。
さらにまったくついていけない子どもは最初から座って土いじりをしています。
この年齢からすでに落ちこぼれが発生していることを確認しました。
教育もまた社会のニーズから生まれたものです。
学校や社会に適合できなければ、落ちこぼれるだけなのです。
しかし落ちこぼれを発生させることで、社会はどれほど豊になったのでしょう。
高度経済成長の時期と学校での弱者切捨ての時期が一致していることを、「綴り方教室」の無着成恭氏が
指摘しています。
社会は常に強者のためにあります。
自由・平等・公平・博愛は人類の理想に過ぎません。
人にはそれぞれの役割があって存在しています。
役割が果たせるように助け指導することが、社会や教育の本来の目的だと思います。
いま私たちは自分が生きる社会をどうするつもりなのでしょうか?
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