LORANの日記
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2005年04月13日(水) なにもなくても幸せ

「神様のつぶやき」にこのタイトルで書きました。

なにもなくても幸せと思う人は少ないでしょうね。
テレビや雑誌、新聞などの広告媒体は絶えず消費を煽っています。
サラ金はいくらでもお金を貸してくれます。ローンやクレジットもあります。
有り余るほどの服やモノに囲まれている私たちは、本当に幸せなのでしょうか?

私が生まれた時は敗戦の1年前でした。
小学校の入学式の記念写真に写っている子どもたちの服はお粗末でした。
靴を履いている子どももいますが、下駄やぞうりの子どもたちが多くいました。
子どもたちの食事がないので、学校給食が始まりました。

そんな時代におもちゃなど買えるはずもありません。
私は亡くなった母が2〜3歳の私に作ってくれた小さな足袋(たび)を大事に持っています。
こはぜの横に私の名前が縫い付けてあります。

そんな時代は本当に不幸だったのでしょうか?

テレビやCDやおもちゃがなくても、子どもたちは朝から遅くまで近所の子どもたちと一緒に自然の中で遊んでいました。
確かにお肉やケーキを食べることは少なかったのですが、みんな健康でした。

1955年ごろ高度経済成長が始まると、電化製品が家庭に入ってきました。
洗濯機、掃除機、冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれ、主婦の労働を助けました。

その後はクーラー、マイカー、マイホームとより快適な生活を目指しました。

子どもたちが上級学校へ進学することが多くなり、支出が増えたため主婦も働かなければならなくなりました。

進学率を上げるためにはより効率のよい授業をする必要があり、お荷物だった「智恵遅れ」と呼ばれた子どもたちは「特別教室」へ集められました。

こうして異常な社会が異常な教育を推し進めていきました。
義務教育期間中から子どもの選別という差別が行われたのです。

学校が荒れ虐めが横行するのは、学校教育がそれをしているからです。

テレビのお笑い番組でタレントがしている芸は、相手を侮辱し虐めているだけです。
それで笑いをとるのですから、子どもたちが真似をしても当然です。


こんな社会を作ってしまった責任は、この世界に生きるおとな全員にあります。
しかしおとなは自分に責任があるなどと考えたこともありません。

自分を正当化し、責任を相手に押し付ける傾向が横行しています。
国会中継などを見ても政策論争ではなく、相手の責任追及しかしていません。


テレビや雑誌、新聞などを見ないで、自然の中で家族と過ごしてみましょう。

おむすびやサンドイッチを作って野山や海岸で1日を過ごしてみましょう。

テーマパークやアミューズメントなどで時間を浪費しないで、家族でゲームをしてみましょう。

電動おもちゃなどではなく、父親が木とのこぎりでおもちゃを作ってみましょう。

いつか子どもたちが成長したとき、きっといい思い出になるでしょう。


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