LORANの日記
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2005年02月15日(火) 哲学と理性

「理性」という言葉を辞書でひくと、「思考する能力」、「道理によって物事を判断する能力」とあります。
哲学では「理性」をとても重視しています。
理性があるから人間であって、他の生き物は理性がないから無価値であると。

それは本当でしょうか?
まず、人間以外の生き物に思考する能力がないのでしょうか?
人間の道理とはなんでしょうか?

人間以外は思考できないから無価値であるとは、なんという傲慢な考えでしょう。
確かに人間と他の生き物は同じではありません。同じでないことが無価値と決め付けることはとても危険です。

哲学は紀元前500年頃、古代ギリシャのソクラテスから始まったとされています。
彼らは人口の3倍もの奴隷を使ってすべての労働をさせていました。
市民(男性のみ)は毎日哲学や政治を論じ、奴隷は労働の道具でした。
「奴隷は道具であって理性は無い」と言われていました。

西洋諸国やアメリカは植民地支配を通じて数千万人の有色人をアジアやアフリカから武力によって奴隷として輸送し、死ぬまで使いました。

それは明治維新の3年前(1865年)に禁止されるまで合法でした。
それ以後も法の目を隠れて奴隷の売買は行われていました。

このような西洋の考え方からすれば、奴隷であるアジア・アフリカ人は彼ら白人の道具に過ぎません。 これはいまでも変わらない偏見です。

第2次大戦以来60年間、白人同士の戦争はありません。
白人同士の局所的な戦争はすべて民族・宗教紛争に限られています。
イスラエルの中東戦争、ヴェトナム戦争やイラク戦争など、戦争は白人が有色人種を一方的に攻撃しています。

理性は時代により、政治形態により、国民・民族・宗教などの違いにより考え方に大きなズレが生じます。
「理性」とはこのような偏見に基づいた考え方ですから、真理ではありません。
「理性」による思考では、世界平和は絵に書いた餅にすぎません。


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