LORANの日記
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2004年08月20日(金) 瞑想

瞑想というと、禅宗の禅を想像されるかたが多いでしょう。

瞑想にもいろいろありますが、禅宗の禅を素人にやれと言っても難しいでしょう。

「五蘊皆空」とか「身心脱落」とか「無」になれと言っても、瞑想専業の禅宗の僧侶でさえ何年もかかることを、素人がにわか瞑想でできるはずもありません。

しかし、見方を変えれば可能なこともあります。

LORANでは、「無」になることをやめてしまいました。

五感を持って生まれてきた人間が、それを否定してもうまくいきません。
禅宗の僧侶にお任せしましょう。

それよりも、いまあることを肯定してしまいましょう。

「すべてに仏性あり」と言うのですから、釈迦如来に近づかなくても自分がイメージしやすい存在に近づけばいいでしょう。

光、太陽、地球、宇宙、星、月、山、川、海、空、風、火、木、草、花、・・・。

「仏性=愛・歓び」と思います。

それなら、そのすべてに愛と歓びを見つけ、全面的に感謝してみましょう。

感謝することは、相手と一つになることです。

それができたら、「自分」はなくなります。

「宇宙」と一つになれたら、「自分」というちっぽけな存在など消えてしまいます。

「光」と一つになれたら、自分の中の感情など一瞬で蒸発してしまいます。

意識が変わるのも当然です。

私は、これも「悟り」だと思います。

すべての存在を認め、感謝し、自分のあるがままを受け入れられたら「悟り」と言えるでしょう。

座禅もせずに、椅子にかけたまま、居眠りしながら楽しんでいます。

それでなければ、瞑想を毎日続けることも、生きていることが瞑想であることもできるはずがありません。


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