ぴんよろ日記
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2014年11月17日(月) 見つけにくいが

 こないだのナガサキリンネで、二十六聖人記念館ができるまでのビデオを見た。建設会社の記録映像なのだけど、番組みたいにちゃんと作ってあって、ミサキンをなだめながら、数十分ぜんぶ見た。
 二十六聖人記念館と隣の教会、二十六聖人のレリーフは、生まれたときからあそこにあるし、そんなに楽しいところというわけではないし、なんとなく「濡れたコンクリートのかたまり」みたいな印象を持って暮らしてきた。でも、ビデオの中の記念館と教会、レリーフは、すべての古い建物がそうであるように、もとはなんにもなく、そこに基礎ができ、建築中の時間があって、完成していた。二十六聖人がたどった道のりを、道すがらの窯元の器で表現したモザイクも、熱い夏の陽射しの中、職人さんたちがひとつひとつ組み合わせていたし、聖人たちの像も「分割」で作られていて、「ひとりひとり」が今ある場所につり上げられ、はめ込まれていた。たしかにあの大きさのものを「一枚」で作るわけはないのだろうけど、そんなこと、まったく考えたこともなかったのだ。建物の意匠も、隅々まで建築家の思いと意味が込められていて、そう思って見れば、五島や外海にあるような「貧しい信徒がレンガをひとつひとつ積み上げた」天主堂にも劣らないほどの「密度」で建てられていた。
 そして「二十六聖人」についても、おなじようなことが言える。
 長崎にあるものは、私にとってはどうしても「はじめからあるもの」なので、なかなか見つけにくい。でも、だからこそ、それを見つけたときの驚きは、初めて見てびっくりした人よりも大きいか、違った形をしているはずだ。これまでも結局はその「驚き」に導かれていたのだろうけど、ますますいろいろ見つけていきたいと思う。


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