ぴんよろ日記
DiaryINDEX|past|will
土曜日、いろいろな家事を終え、夜は友人一家が来るので、なにかおいしいものを買っとこうと、バスに乗った。そういえばランタンの皇帝パレードだったなぁと思っていたら、どんどん道が混んできたので、街の(長崎では、街=浜の町)ひとつ手前のバス停で降りた。
あっ。
道の向こうに黒い服を来た人がウロウロしていて、それはまさに、Cさんの出棺の瞬間だった。昨日、なんとなく新聞を買ってみたら、お悔やみ欄にCさんの名前が載っていたので、ついに…と思っていたのだ。 Cさんは、長崎では有名な福祉系の団体の会長さんみたいな人で、いろんな意味で有名なのだが、一方では「くんち界」における超有名人だ。もしCさんを知らなくても、くんちを見たことがある人なら、Cさんの掛け声は、知らず知らずのうちに耳にしているだろう。それは「本番」にとどまらず、稽古の時から始まっていて、私がコッコデショの番組を作った時も、稽古初日に「毎日来るぞ〜!」と声を張り上げ、ほんとうに毎日(私もほぼ毎日通ったのだけど、必ずいらした。だから、話はしなかったけど、勝手に同志みたいな気持ちでいた)来ては、ビシバシ厳しく、あるいは誉めあげていた。踊町の人にとって、Cさんの存在や掛け声がどうだったのかはよくわからないけれど、なにはともあれ、Cさんがワーワー言ってるだけで、なんだかお祭り感があって、楽しかった。 そんなCさんも、ここ数年は見かけるたびに、なんだか顔色が悪くて、稽古の時も「オイ(私)は次は見られんとぞ〜!がんばれ〜」なんて掛け声を飛ばしたりしていて、でも、Cさんの声はくんちとくれば耳にするものだったから、そうかもしれないけど、Cさんがいないくんちの想像がつかなかった。 でも、Cさんはいなくなった。今年のくんちでは、もうあの声は聞こえない。出棺の様子を見ていたら、遺影と一緒に、これまでのくんちでの晴れ姿の写真が運ばれていた。 どうして前の日に新聞を買って、なんでその日その時間のバスに乗って、1つ前のバス停で降りたのだろう。こじつけかもしれないけれど、10年前の夏、ともにコッコデショを、あるいは長年くんちを見つめた、見つめつづけるであろう人間を、呼んでくれたのかな、と思っておきたくなって、合掌した。
|