ぴんよろ日記
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2013年08月18日(日) みつえさんは井戸

 ついに完成の「ペコロスの母に会いに行く」を見に行く。原作者の岡野さん本人を知っているし、ほとんどのシーンのもとになっている漫画を全部読んでいるし、ロケ地はうちのすぐ近くだし、うちも山の上にちょびっと映ってたし、出てくる店によく行くし、エキストラに親類縁者がチラついているし…ということで、ニュートラルな状態で観るのがとんでもなく難儀な映画だったけれど、始まってしまえば、普通に楽しみ、何度か泣いた。ヒコとの関係がうまく行っているとは言えなかった今日このごろだっただけに、数十年後のこと…私がボケて、ヒコのことわかんなくなって、それでも時々は思い出して、子どもみたいに頭をなでたりできるのだろうか…などと想像したりしながら、ヒコともっと楽しい時間を過ごしたい…と、しみじみしくしく。
 関係がうまくいかない人について「いなくなる…たとえば死んでしまうと思えば、意識や態度も変わるでしょう」というような諭しがあったりするが、それはやっぱり極端な話で、なかなか想像もつかないし、極端なだけにその時はドキッとするけど、目の前に次々とわき起こるあたふたで忘れられがちになる。でも「変化」はむしろそれだけではなくて、お互いが成長したり病んだり老いたり、限りないグラデーションを描きながら、それでも死ぬまで生きなくてはいけないし、特に、親子であることは、まず、やめることはできない。
 昨日まで元気だった人がパキーンと死んでワンワン泣く、というのでなく、「あれ?なんかちょっと…昨日よりもなんだか…」みたいな感じで、じわじわと衰え、果てしないグレーゾーンを行きつ戻りつしながら、別れへと近づいていく…その上で、その中で、それだからこその喜びや幸せさえ見出していく…という、かなりドラマになりにくい、しかし大多数の人生の現実。それにやっぱり、「死んだ!悲しい!後悔!」じゃなくて、「どんな状態であれ、100のうち30しかできないかもしれないけど、お互い生きながら愛しみ合う」っていうのは、大きなポイントだと思う。ただ、後悔は後悔で、それもまた「こうすれば良かったと後悔できる人がいたという幸せ」があるだろう…などと、思いはグルグル。
 そして、そういう「行きつ戻りつ」感を、長崎の風景が増幅していて、こればっかりは、ほかの街ではうまく表せなかったと思う。長崎を「舞台」にした作品は数多くあるけれど、これほどまでに、その風土…見れば見るほどさまざまな時空がぐだぐだに迷宮螺旋化していつつ、全体的にはポカンとあたたかい…が、物語の本質とわかちがたいものはないのではないだろうか。

 と、ここまで書いたところで、長崎とみつえさん(ペコロスの母)って、とっても似てることに気付いた。「長崎ほど深い井戸はない」…去年の制作発表の時の、森崎東監督の言葉そのままだ…。



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