ぴんよろ日記
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中国からいろいろ飛んできているようで、鼻だのノドだの、花粉症が悪化するだの言われはじめた。それはそれで深刻な問題だろうし、私自身、鼻やノドの弱さに関してはそこそこの自信があるのだが、なんとなく「あぁ、またワルモノ見つけて嬉しそうだな」と思って見ている。 20年来悩んできた花粉症を、わりと簡単な方法でほぼ克服して、そのメカニズムが身をもってわかったので(『あくまで個人の感想です』ってのは、こういう時に使うのかな)、たぶん、世の大部分の花粉症やアレルギー的なものは、そう深刻ぶらずとも治る(あるいはかなり軽減できる)。でも、これもたぶん、世の大部分の「アレルギー」は、無意識あるいは「よかれと思ったことが裏目に」ということが引き寄せているので、それがある限りは治らない。「鈍感な私」より「繊細な私」のほうが素敵っぽいものだし。私にも覚えがあるが、「来ちゃいましたよ〜、今年も」「え!早いね!」なんて会話をしている時は、わりと楽しいものだ。風物詩を楽しめるオレ、みたいな。 ずいぶん前にテレビで見た、アレルギーの子供を持つ母親は、本当に正義感にあふれていた。「すべての者たちよ、私の子供のアレルギーに配慮せよ!」…とまでは言わないけれど、なんと言えばいいか…表面上はもちろん違うし、絶対的に否定されるだろうけど、彼女は困っていないように見えた。むしろ、子供のアレルギーと、そのことに対処することが、彼女を生き生きとさせていた。もし、子供のアレルギーが、ポンと治ったら…次の何かを探すだろう。たとえば受験とか。 ワルモノによって生き生きしてしまう、というのは、日本人の、人間の悲しい性ではあるけれど、もうちょっとそれに対して自覚的であったほうがいいんじゃないかと、新しいワルモノが嬉々として迎えられている様子を見て思う。 そして「ワルモノ」の数値的なものは、機械的に体に作用するわけではなくて、それを受ける体のコンディション次第だし、受けたとしても、中和したり排泄したりする力が、思っているよりもある、ということも、もうちょっと信じてやってもいいと思う。体に対して。
いまのところの心配は、長崎の精霊流しへの「なんだその花火の量は!大気汚染だ!規制しろ!」という、佐賀や福岡あたりの「善良な市民」からの投書だが、まぁ、PMナントカさんも夏までには忘れられているだろう。
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