ぴんよろ日記
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寒くて眠くて朝寝坊。ヒコは7時35分集合、40分出発なのに、二度寝して時計を見たら7時33分だった。びゃーん!と飛び起きて、ヒコに「ごめん!33分!」と言ったら、さすがのヒコもびゃーん!と起きて着替えた。ドーナツを一口大に切って押し込んだりしながら、なんとかどうにか、39分ごろ家を出した。 たしかにあわてたけど、気持ちや意識の居場所としては、こうしていろんなことを一緒にやっていくのがいいと思った。自分がまずダメだったから、ヒコのことをもちろん怒れない。いつものように、早く起きて準備万端な私が、あれしろこれしろ早くしろって命令して、それができなかったり反発されたりしながら、双方イライラぐったり…という、いつもの「正しさ」がなくて、お互いのできることを協力している感じ。だからって毎朝寝坊していては身が持たないけれど、とにかく、もうちょっと自分から「正しさ」を抜きたいと強く思った。 正しさは人を救わない、っていうのは、ずいぶん前からの私の人生訓のひとつでもあるのに、子供、特にヒコと接するときには、どうしてもそれを使わざるをえないことが多々、多々、あって、それが本当にきつい。正しくもない人間が正しくあらねばならないというのは、自分で自分を精神の袋小路に追いつめているようなもの。見方を変えれば、自分を裏切り続けているということで、それがもう、精神的にかなりきつい。だからといって、言われるがままに毎日毎日ゲーセンに行ってカードゲームを10回も20回もさせたり、宿題もしないままDSをさせ続けたり、夜中まで暴れ回るがままにするということに対するには、どうしても「正しい」要素が立ち現れてしまう。そしてそれを出しているうちに、どんどん自分が「正しい人」になって、ヒコが「間違った人」になって、二人の溝は深まるばかり。ぜんぜん気持ちのいいことでもなんでもないから、その問題が(一見)解決したあとも、心はすさみ、次に会う時も身構えてしまう。なにを言われても許せなくなる。 もう、正しい人に飽きた。正しいって、ほんと疲れる。冷たく固くなる。でもそう思って、ちょっと甘くすると、これがまたヤツは信じられないくらいの早さとパワーでつけ込んでくるのだ。「絶対に1回でいいから」と念仏のように食い下がるからゲームをさせると、次の瞬間には「どうして3回、5回はさせてくれないのか」と猛烈に怒り散らす。やくざというものに接したことがないが、きっとこんな感じなんだろうな、と思う。 介護のつらさって、自分が「鬼」になってしまうことに直面せざるをえないつらさだという話に、「子育てもそうだ!」と、その時はすごくうなずいたんだけど、私の場合はひょっとしたらちょっと違ったかもしれない。自分とはかけはなれた「正しい人」にならなくてはならないつらさだ。自分自身は2ヶ月先の当てのない収入を当てにしてキャッシングしてるくせに、子供には小遣いの使い方についてガーガー言ってるという、正しさの裏にある大嘘が、果てしなく自分をヘトヘトにするのだ。 正しい人を休みたい。 正しくなくても、もう少し、お互いうまく行く方法を探りたい、それはきっとあるはずだ。と思った、大寝坊の朝。
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