ぴんよろ日記
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起きたら、秋。いい匂い。心から秋が好きだ。ヒコは、はりきって長袖長ズボンで登園。今ごろ暑いだろうな。彼なりの美学なのであろうが、長袖長ズボン、今はまだ暑いと思うぞ。そして跡が付くくらい、ズボンの腰回りをビチビチに調節する男。もちろんパンツもピッチピチがお好み。そういうのって、どっから来るんだろうか。ミサキンはウンコ包んでてもニコニコさん。
昨日はすべり込みで「えびすリアリズム展」を観た。カラフルな蛭子さんの絵を見ながら、ずーっと「わんわん!わんわん!」と叫ぶミサキン。子どもに見せる絵だったかどうかはさておき、蛭子さんの絵は、思っていたよりも透明感があってきれいだった。漫画の原画もスッキリとしてて。テーマや画風はなんであれ、世に出て行くものにはある種の「にごりのなさ」があるのかな、と思う。本物の大村ボートの船をもらったという「エビ号」も、部屋が広かったら飾っておきたいくらいだった。
そのあと、くんちの神輿の練習を見におすわさんへ寄る。奉納踊りとくらべると、もちろん地味なんだけど、三体の神輿が長坂を駆け上がっていくところには、踊りとはまた違ったドキドキがある。くんち当日、本番が終わったあとの、ほどよく熱気が抜けた桟敷に100円払い、お下りやお上りを見るのは、それはそれで、じんわりと祭りの日を感じるひとときなのである。
その後、御座船が来るというので、つい見る。やっぱり最近の曳きもの担ぎものって、どうも「男祭り化」してるなぁ…。「魂入れろ〜っ!」「気合い見せんや〜!」なんて、叫ばれれば叫ばれるほど、個人的には冷めてしまうのだが、世の流れとしては、こういうものを求めているのだな…と思う。コッコデショだって、ほんの3〜4回前までは、ここまで熱狂的に追い回されていなかったし、くんち全般に関しても「感動をありがとう!」的な扱いではなかったような気がする。とにかく、その時代を生きる人々の心のありようが祭りには反映されるのだと思えば、つまり今は、そういうものを求める人が多いのだな、と思うばかりだ。個人的には苦手でも。しかし、だからといって、ふんどしや裸はごめんだよ〜ぅ。
もし龍踊りの龍衆が、やたら「わめき」出したら、なんか違和感感じないだろうか。龍衆は、龍が泳ぐ「雲」であり「稲妻」で、龍を生かすためにいるのだ。そんでもって、根曳き担ぎ手だって「波」なんだから、そんなに自己主張しなくてもなぁ…というのが、研究所の所長兼掃除のオバちゃんの主張なのである。
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