ぴんよろ日記
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普賢岳の日。大火砕流の映像は、何度見ても恐ろしい。私は熊本で大学4年生をしていた。5時限ぶん、フルに残っていた教養(普通は3年までに取る。そして取らなくては卒業できない)の日だった。授業が終わって外に出たら、茶色い雨が降っていた。あたり一面が茶色だった。黄緑色のシャツを着ていたのだけど、それにも茶色が付いた。 ダンナは、当日こそ現場にはいなかったけれど、そのころは連日、学生バイトとして取材に入っていた。背後に迫り来る火砕流から、車で猛ダッシュで逃げたこともあるらしい。大火砕流の時は、テレビクルーのアルバイトも亡くなっている。火砕流は、バイトだからって、もちろん容赦しない。気軽に入ったアルバイトで死ぬことになるなんて、彼らは思ってもみなかっただろう。 私はその3年後に、そんなことは考えもせず、テレビのプロダクションにバイトに入った。そういえば、「島原復興」に関する工事の記録ビデオのバイトに入ったこともある。そんな中、6月3日の島原取材に入ったカメラマンが「これだけは行きたくなかった…」とつぶやいた。3年前(そう。たった3年前だったのだ!)、彼は現地にいて、たまたま死ななかっただけなのだ。 ダンナの取材中になにかあって、「焼けこげたカメラ」とか「泥まみれの時計」を前に呆然としなくちゃならないことが、絶対にないということは言い切れない。そうなったら、どうするだろう。やっぱり呆然とするんだろうな…。
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