ぴんよろ日記
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戦後の長崎の産業史…みたいなものを、ある仕事で読み書きしているのだけど、ここにはたしかに「景気の良い」状態が現れる。神武とか岩戸とか特需とか。いまの世の中の人が口を開けば「景気をなんとかしてほしい」の「景気」である。「景気が悪い。なんとかしろ」と言っておけば、なにか世の中のことがわかっている人風になるけれど、それってかなりの危険もはらんでいると思うし、気分で「景気」と言ってる人にとって「景気のいい」状態は、塩水を飲んでるようなものだから、いつまで経ってもやってこないだろう。 「景気」が良くなるのは、だいたいが自分とこの戦争やら、ひとの国の戦争やらで、ごっそりといろんなものが失われて、それを補うために物やお金がぐるぐる回っている時のことだ。「ひところは、ドラム缶にドル札を足で押し込んでたものだったのに」というのが、ある人にとっての「景気の良い状態」だとすれば、そんな状態は「隣の国で戦争があっていて明日出撃なので、明日以降の生死がわからなくてやけっぱちで飲んでる兵士」がたくさんいなくては成立しないので、結局は、戦争でもないかぎり「いい景気」は永遠にやって来ない。それを「なんとかしろ」というのは「自分の痛みがない場所で戦争でもしてくれないかしら」ってことにならなくもない。 本当に切羽詰まった状態も、もちろんあろうかとは思う。でも、いま一度、それぞれの人がどういう基準で「景気をなんとかしろ」と言ってるのか、自問自答する必要はあると思う。「ドラム缶に足でお金を押し込むような景気」や「オレの小遣いが湯水のようにある」「会社の交際費使いたい放題」というようなことを夢見ているのであれば、それはちょっとあぶない。これだけのレベルで寝食が満たされている国でそういう状態になるためには、どこかに大きな大きな喪失がなければ成り立たないのだ。戦争でもないかぎり来るはずもないそんなことを夢見たり夢見させたりしているうちに、あるべき「底」が抜けてしまった、というのが、今なんだろう。 …ぐっと秋になって、ついいろいろ考えてしまったりして。さ、仕事仕事…。
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