ぴんよろ日記
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旅行から戻って、いつしか増えた荷物を解いて、片付けたい気持ちは山々だけどお腹も減ったのでごはんを食べて、たくさんの洗濯物を干して、部屋の空気を入れ換えて、猫を「お留守番ありがとう」と言いながら撫でて、掃除機をかけて、ちょっとパソコンを見たり、天気予報を見たり、またごはんを食べたり、仕事の電話がかかってきたり、宅急便を受けとったり…と、日常に着地していく過程が好きだ。家がいちばん、とか言いながら。
旅の一日目。福岡で両親や妹一家とお昼を食べて、年に一度の狂言を見る。野村萬斎さんの声が前よりも複雑になってたような気がした。そして「声」についていろいろ考える。存在する、って、ほんとうは「固形物」は何もなくて、声に代表されるような「響き」なんだろうな、とか。能舞台に役者があらわれていろいろ演じてみせるけど、終わってしまえばきれいさっぱりなくなってしまう。じゃぁなにを、なんのために?となると、役者が発した(それも、何者かの代わりに…)響きを受け取って、「観る」ということで自分に響かせて、また生きてゆく、というようなこと、か?…など。ややこしや〜。でも至福の時間。ちょっと寝たけど。 夜は小国へ。いつもの焼肉屋さんでレバーを大量摂取。レバーはともかく、おなじ網の上でお肉も脂もバンバン焼かれていたので、そちらも知らず知らずに摂取していたらしく、ミサキングさんから苦情。 友だち(夫)と「ツイッターで何百人もフォローしてる人って、どうやって読んでるのかな」と話していたら、友だち(妻)から「読んでないんじゃない?」と、胸のすくような意見が提示され、一気に解決した。
二日目。小国の「鍋が滝」に行ってみた。鍋みたいにまーるく開いたところに、ザーザーと水が落ちていて、滝の裏を歩いて向こう岸に行ける。人気スポットらしく、老若男女が次々と険しい道を降りてきては、滝を見たり、裏をくぐって向こう側に抜けたり、写真を撮ったり、つい意味ありげな小石を積んだりしている。その様子をボーッと眺めていると、「生きる」というでこぼこ道を歩いてきた人たちが、ついにその生の尽きる「死の淵」にしばしたたずんだあと、ザーザーとなにかが降り注ぐ異様な瞬間と空間(死)を通り過ぎ、ポカンとした対岸(あの世)にたどり着いてる、という光景にしか見えなくなってしまった。日曜日ということもあって、とても人が多くて、それも「滝見物」には到底そぐわないギャルっぽい人とか、テラテラに日焼けした小金持っぽい兄さんとか、そういう人も交じってたので、なおさら普遍的な死の光景に見える。さっきまで携帯かけてた兄さんも小石積んでたりして、みんなわりと楽しそう。長崎のお盆の墓場と似てる。だからきっと、本当に似てるんだと思う。しかしそんな中、ヒコはちょっと次元が違う存在感で、水際でジャリジャリ石を洗ったり、恐ろしいことに棒を振り回して「意味ありげに積まれた小石」を破壊したりしていた。妖怪? 午後は友人宅でのんびり&息子たち遊ばせ、久住へ。ふたたび両親と妹一家と旅館に泊まる。こちらもまた、もうすぐ2歳の男子がいて、大騒ぎ&大暴れ。子供はすごい。
三日目。朝、のんびりして、昼は湯布院でごはん食べたあと、解散。ボチボチ帰る。
久しぶりに、まとまった時間、日常から離れた。日常から離れると、いろいろ考えごとができるので楽しい。そしてヒコが他の人と過ごしているのを離れて見ていると、ヒコのすばらしさがわかる。明るさ、キレの良さ、おちゃめな賢さ、など。いつもは近すぎて、そこにピントが合いにくい。
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