ぴんよろ日記
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今日も壁塗り。とはいえ、私はポン女史がいるので、ほとんど作業ができない。今回の家づくりでかなり心残りな部分だ。この情熱は住みながら活かそう。雨が降ると言いながら、結局あまり降らなかった。風は強かった。夕方、ガレージになるところに立っていると、雲のかたまりがどんどん流れていく。まえ住んでいたところよりも、空の広がりが大きい。毎日この空を眺めて暮らすんだなぁ、と思う。
たくましいアジサイが、あちこちでたわわ。花に「たわわ」っていうのは変だけど、大振りなアジサイには、たわわ、って言いたくなる。アジサイを見るといつも思い出すのは、いま住んでいる実家の近くの道沿いにあった家の、道ゆく人や車に対して惜しみなく咲き誇っていた、おじいさんのアジサイ。どうして「おじいさんの」かというと、妹が病院の待合室で一緒になったおじいさんに「近所にアジサイのきれいな家があるんです」と話したら「それはうちです!」と。その家も、もうない。…って、なんだか岡野さんの漫画みたいだな。 でも、ヒコといるときに、街のあちこちで「ここは、かあさんが小さいころはこんなだったよ」と話していると、街って、ほんとうに変わっていくのだな、と思う。何年も何十年もかけてそれがわかることが、街で暮らすということなのだろうし。だからこそ(というのは少し強引かもしれないけれど)、昔と今は、ぜんぜん途切れていないと思う。変わっていくものだからこそ、途切れないのだ。均質な時代や街が、ある日、あるきっかけでスパッと違うものに変わるなんてことはない(終戦だって、そうではなかったと思う)。ムニョムニョとグラデーションにまみれたものがうごめきながら、いつしか変容していく。すべてのものの成り立ちは、もっと複雑で、割り切れなくて、あらゆる要素が混じりあっているはず。…という感じで、でも、空を眺める分量を今までよりももっと増やして、あの家で、いろんなことを考えていくのだろう。
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