ぴんよろ日記
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知人が病気で手術したという知らせ。でも、なんとなく「やっぱり…」という感じがした。最近ちょっとご無沙汰していたが、以前よく会っていたころ、当時は自他ともに元気いっぱい!という時期だったのだけど、なぜか「近いうちに病気するんじゃないか…」と思ったことがある。でもそんなこと言うわけにもいかないまま、今日の知らせ。どうしてそんな予感がしたのか、今になって考えるのだけど、その人自身が望んで、まわりもそれがぴったりだと思って始めた新しい仕事(お店)が、実は合っていなかったのかもしれない。その人が得意なこととお店の内容は、これしかない、というくらい合っていたのだけど、それとはまったく別の「お店というものをやっていくための図太さ」を持ち合わせていないような気もする。きっとそういうことって、あると思う。でも、この病気が、きっといいほうに軌道修正してくれるような気も、なぜかまた、わけもなくするので、きっと大丈夫だ。幸か不幸か「『見える』ような霊感」はないと宣言されたが、こういうことは、時々わかる。
そう。霊感はない。オバケが見えるとか、その手のこともだけど、たぶん、いわゆる「クリエイティブ」なことをしていくための雷に打たれるような「インスピレーション」や、ものごとの本質を瞬時につかみ取る能力(嗚呼、シャッターチャンスの弱さよ!)は、私にはない。誰もが知る天才と比べるまでもなく、身近に存在するハハやダンナを見ているだけでも、それはよくわかる。私はまったく天才肌ではない。コピーの仕事で何が苦手かって、ドカーンと一発のキャッチコピーだ。理屈のボディコピーはいくらでも書ける。でも、店の名前とか商品名とかイベントのタイトルとか、そういう大づかみなものを考える時、自分の才能のなさに愕然とする。ぜーんぜんわかんない。頭の中に霧が立ちこめる。そのかわり、枠のある細かなことは得意だ。グチグチと本を読んだり散歩しながら「これって、あれと結びつく!誰も気付いちゃいないだろうけど!」というようなインスピレーションはたびたび降ってくる。地道な職人へのごほうびだ。そして哀しき観察者人生。だから、ドカーンとはったりかますようなことはできないけれど、ほそぼそとこういうことを積み重ねていくのが私の道なのだ。スコーンと高みに降り立つ霊感はなくとも、別の入り口からめんどくさくて長い階段を休みなく登って、近い境地にたどり着こうという寸法だ。
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