ぴんよろ日記
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長かった代車生活も終わり、またベンツさんとの日々。日曜日には、雲仙であったクラシックカーのイベントに行ったのだが、そこには私と同じ歳の車たちが、立派な「クラシックカー」として並んでいた。ベンツさんは、その半分以下の歳ではあるが、車としてはそう若くはない。これに乗っている人はすでに、ちょっと趣味が入ったような人たちだ。数日前にも、まったくおなじ型のものとすれ違ったが、ナンバーを「124」にしていた(124という型なので)。これはミニクーパーのナンバーが「3298」だったり、ポルシェ911のそれが「911」だったりするようなものだ。もう、そういう人が乗っているような車になってしまっているのだ。時々はカタギじゃないような人もいるけど、ワゴンではない。 カップホルダーも付いちゃいないし、左ハンドルだからスーパーの駐車場ではいちいち降りて券を取りにいかなくちゃいけないし、いろいろ不便なところもあるけれど、乗っていれば情がわく。たしかにいい車だと思う。年相応のガタピシも少々の不便さも帳消しにしてしまえるだけの空気は持っている。私は「情」レベルだが、ダンナにとっては夢にまで見たあこがれの車だったわけで、「愛」である。乗ってるだけで、洗ってるだけで、嬉しいらしい。 「車なんて動けばいいじゃないか、名のある車に乗りたがるのはくだらない俗物根性だ」というようなことを、ある人が書いていたのを思い出す。でもその人は、いい本や音楽は大切に、ともよく言っていた。それって、その人が車に興味がないだけで、だからといって、いい車を大切にすることがくだらないなんてことはないはずなのに、なんか変な話だな、と、車好きのダンナがいる私は、寂しい気持ちになったものだ。そして、ダンナのおかげで、ある種の「いい車(もちろん値段ではない。15年前のベンツさんは、国産の軽よりも安い)」に乗っていると、やはり、いい車はいい。 こないだ、街の駐車場にベンツさんを駐め、用事を済ませて帰ってきたら、彼がなんだか「ふくふく」しているように見えた。去年の秋に来たときよりも、ふっくらと潤っているような感じだ。それはたぶん、見間違いではない。この半年の間に、彼には相当の「愛」と「情」がそそがれているので、それが彼をふんわりと包んでいるのだと思う。中古車屋さんに行くと、それぞれの車に「前の所有者の車に対する気持ち」がなんとなく漂っている気がしていたけれど、これで確信した。車にも気持ちは伝わっているのだ。 好きな車が好き。その「好き」が、車の顔をおだやかにする。そしてまた、その車がいとおしくなる。うちの車は、いい車だ。ボンネットには「俗物根性」を背負わされがちなマークが輝いているけれど、そんなんじゃなくて、いい車なのだ。彼はいま走行8万キロくらいだけど、故郷のドイツでは、タクシーとして100万キロ走ったりするのも普通らしい。いいじゃないか、100万キロ。頼むよ!
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