ぴんよろ日記
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2006年08月14日(月) そがん年やもん。

昨日の夜は、途方に暮れていたさまざまな懸案事項だったが、
一晩眠って起きて、断念することが許されそうなものはすることにしたりしたら、
むしろのんびりとさえ過ごしている。
「とりあえず考えずに寝る」というのは、なかなか使える解決法だ。


朝は白玉ぜんざい。
昼は、昨日の夜ごはんを作った時に詰めておいたお弁当。
ぼっちゃんに攻撃されながら、いくつものおかずを出さなくていいし、
これはかなりのヒットだ。片付けも簡単。これからはこれにしよう。


昨日、ばあちゃんのとこにちょっと寄った。お盆だし。
3才で死んじゃった、ばあちゃんのお兄ちゃんの話になる。
うちのぼっちゃんとよく似たその子だが、
タンスか何かの空間に入りこむのが好きで、
そこに入るとごきげんでニコニコしてたらしい、というのを聞いて、
そのニコニコを見ていたひいばちゃんが、
どんなにかわいく思っていただろうと、泣きそうになった。
初めての男の子だったし、死んじゃったときは、たいそう悲しかったらしい。
そりゃそうだろう。
ひいばあちゃんは、そのあと、男女2人ずつ、4人も生んで育てた。
一番上のおばちゃんを合わせて、5人。
ひとりのぼっちゃんでヘトヘトになっている自分が情けないが、
それにしてもタフ…。
そして、その子は死んじゃったけど、
あとの5人がガッチリ元気に健在なところがすごい。フルハウス状態。

でも、
「3才の時に死なんで生きとっても、
 たぶん兵隊に取られて死んだやろうね。そがん年やもん。」
というのが、ガツーンとショックだった。
結局は若くして死んだ可能性、特大。
悲しすぎる。

ほかにも、ひいばあちゃんのお母さんが、原爆で黒こげになった話など。
毎日のように、お母さんの家(松山町!)に行っていたという、ひいばあちゃん、
あの日も行くはずで、頼まれていた薬も準備して仏壇においていたが、
なぜか行かなかったらしい。
こういう時の「なぜか」の力って、測りようがない。

遠い親戚だか知り合いが、長大の病院で診察を受けていて、
目の前のお医者さんは死んだのに、
その人と、ひざに抱っこしていた娘は生きていたというのも、
あまりの紙一重さにおののいた。
隣の家とかならまだしも、目の前。紙一重ですらないのでは。


◇◆◇


10秒単位の奇跡的な偶然が重なり合い、
あきらめていた「『親戚集合in墓』への参加」が実現。
しかも例年では考えられないくらい遅い時間に、みんなが集まっていた。
いちいち「これは誰かね?」と確認するほど暗い墓で、
約20名がひしめきあい、ビールを飲んだりおにぎりを食べたり、
暗くて見えないけど子どもを見せあったり、
年を言い合ってはしみじみしたりして、
「生きてる者だけが人間だなんて、そんなの嘘っぱちに決まってるさ」
という時間を過ごした。
ワイワイしていた今日の墓地は、つまりはあと100年もしないうちに、
そっくりそのままあの世で再現されるのだ。
今日はもう暗かったから見えなかったけど、
ずーっと階段を昇った上の方にあるお墓にいて、
登ってくる親戚を見つけては「あ、○○ちゃんの来た」「おじちゃんも来よる」
などと言ったりしている光景って、すごくあの世っぽい。
死んでる人から見たら、生きてる人って、あんな風に見えてるのかもしれない。
墓参りは、あの世体験だ。

そうか。今あらためて思ったけど、今日行った墓には、
80年ほど前に3才で死んじゃったあの子も入っている。
サンキュー!登ちゃん。みんなと会わせてくれてありがとう。

そんなこんなで充実の墓参りを済ませ、
夜は駅前食堂でしょうが焼き定食(という名の、肉野菜炒め定食)。



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