ぴんよろ日記
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外に出なくちゃと言いながら、寒いのにかまけて、もう3日は出てない。 しかしこの3日で「オフィス・角打ち」をはじめ、いろんな工夫ができた。 こうしている今も、立って書いている。 「だっこしなきゃ!そしてその間はなにもできない…」という時間が、 体力は使うけど、まぁ、戻ってきたわけで、めでたい。
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人との付き合い方というのは、まったくもっていろいろだ。 同じ私が付き合うのでも、あの人とこの人とでは、まったく違う。 仕事の上でとても大切に思っている人だからといって、 しょっちゅう飲みに行くわけでもないし、 飲みにはしょっちゅう行くけど、 昼間にコーヒーをしみじみ飲むなんて、そういえば一回もしたことない、など。 たまに会う人、週に一度は会う人、 ぜんぜん会わないけど、会えば、何年ぶりだろうが違和感なく話せる人。
ただ、ここで大切なのは、 誰一人として、自分が会おうと意図して会ったわけじゃないということだ。 どんなに大切な人であっても、 会ってしまってから、大切な人になった人ばかり、ということ。 たとえ通う学校を選んだとしても、そこで会う人までは選んでない。 でも、その学校で会った人と、学校を出てからも付き合い続ける。 「会いたい!」と思って会う人もいるけど、 自分とその人がどんなふうに付き合っていけるかは、 付き合ってみないとわからない。 そんな感じで、人との関係は始まり、つながっていく。 そんなふうにしか、人とは会えないし、つながっていけない。
親子だってそうだ。
ぼっちゃんに対して、ますます「この人は私とは別の人間である」 という思いを深くしているが、つまりは、子どもって、 ある人とはコーヒーをしみじみ飲み、この人とはお酒を飲む、 というような「縁と役割」の濃くて深い同列に、 「腹の中に発生する」「産む」「育てる」っていうのがあって、 そのポジションにいる人なんじゃないだろうか。
人との付き合い方のひとつとしての「産む」とか「育てる」。 濃いな…。濃い付き合いだ。
少なくとも私は、 ぼっちゃんが、こんなぼっちゃんだと知ってて選んだわけじゃないし。 でも大切に思って産んだし、育てている。 将来、いろんなことを話したりするのを楽しみにしている。
あ、だけど子どもって、親を選んで生まれてくるんだったっけ。
物好きなヤツ…。
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朝はハムエッグとスープ。
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