ぴんよろ日記
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わざわざとは、泣きたくない。
悲しい夢を見たときや、ある種のよろこびのようなものによって、 わりとしょっちゅう泣いているが、 「ええ話」などで、わざわざ泣いたりしようとは思わない。 もし涙に価値を見いだすとすれば、私にとってそれは「不覚さ」にあるので、 わかってて泣くのって、なんかアホくさい。 小説とか映画とか「泣ける!」って言われるだけで、もう見たくなくなる。
アホくさいと思ってるわけではまったくないのだが、 人が死んでしまうことにまつわっては、あまり泣かないほうだ。 どっちかというと、泣けないほうかもしれない。 時と場合によっては、ひんしゅくを買うおそれがあるほど、泣けない。 自分でも、どうしてここで泣けないんだろう、と思う時があるほど。
理由はほとんどわからないけど、 「死んでしまうことを、ゼロになることだとは思ってない」ということが、 ひとつにはあるのだろうか。
昨日も、ある人が死んでしまったという知らせを聞いて、 「あの人がどうしてこれほどまでにあっけなく?」 という、大きな疑問は渦巻いたけど、 涙を出すような悲しみよりも、 「そうか…」という、受け入れる気持ちの方が大きかった。 病気のことは聞いていたので、ある程度わかってはいたし。 (思っていたよりはるかに早かったが…)
ただ、そうは言いつつ、その人が病気になったり死んでしまうことが、 あまりにも想像がつかなくて、涙までに至れていないという可能性もある。
私が知っている人の中でも、かなり「死にそうにない」人だったのだが、 「チャーミングな人選手権」でも、トップクラスだった。 よく「神様に愛される人は早く…」と言ったりする。 そういう解釈が(好きじゃないけど)、 ひょっとしたら当てはまるのかもしれない。
死んでしまうことを、ゼロになることだと思ってはいないけれど、 「その人とはもう、生身の存在同士としては会えない悲しさ」から、 いつか後頭部をはたかれて、泣いてしまうのだろうか。 でもいまはよくわからない。 涙からは、とても遠い感触。
また一緒に、山に登りたかったな。
◇◆◇
バナナ、おいもパイ、柿、コーヒー。ダンナにはハムサンド。 平さんのカイザーロールは、時間が経つごとに正しく固くなったので、 今日は軽く焼いた。3日で5つ全部食べきった。
昨日の夜、ダンナの仕事が終わるのを職場の近くで待っていたら、 「いつかまた会いましょう」とメールし合っていたりした人から電話があって、 すぐ近くにいるということで、会うことになった。 30分くらい話したのだが、いきなりマニアックな話が展開されて、 非常に楽しい時間だった。 それにしても、すごいタイミングで会えた。 私が1本後のバスで来てても会えなかったし、 ダンナの仕事がいつも通りの時間に終わっていても会えなかったし、 今年の踊町がひとつ多くても少なくても、会えなかっただろう。 (その人はくんち見物帰りだったので)
これはとてもわかりやすい「タイミングの良さ」だけど、 もっと長い時間の中で、人と会ったり関わったりすることも、 基本的には同じことなんだろう。
「偶然なんかなくて、すべては必然なのです」…というのは、 なんかピンと来ない言い方だな、って、いつも思う。
選べる道はたくさんあるけど、体はひとつしかない。
そういう、偶然まみれの中から、ひとつひとつ選びながら歩いて行ってみて、 その、歩いた跡を、時には必然と呼んでみる、 くらいのことなんじゃないのだろうか。
まぁとにかく「すべて」とか言われると、 ひとまずは「ウソだーい!」って思っちゃうんだが。
◇◆◇
お昼は、こないだ20年ぶりに会った友だちと2ヶ月ぶりにハルピンで。 ボルシチの小さいのと、レバースパゲティ。 そしてお旅所に行く。 小学生や中学生の時に一緒に行っていた人と、まさか30代も半ばにして、 お旅所に行くとは思わなかったし、実際、妙に笑えるヘンテコな気分だった。 時間がゆがんでいるような。 お旅所では、ちょうどお湯を振りまく神事にでくわして、 大量にありがたいお湯を浴びた。湯冷めするかと思うくらい…。
冷やしパインを食べた。大きくておいしかった。 龍踊を見た。
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