ぴんよろ日記
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さっそく「華氏911」を観てきた。 映画をちっとも観ない私だが、体が勝手に動いたので、ついていった感じ。 冷静と呆然とが自分の中でぐじゃぐじゃに混じり合いながら、 一気に最後まで駆け抜けた。 これだけのものを、これだけのテンションを維持しながら作り込むのだから、 マイケル・ムーアという人は、よほどの人だと思った。 そしてたぶん彼は 「やらないでよければこんなことしたくないけど、どうしてだか、 自分に天分としてめぐりめぐって割り当たっているようだから、 なんとかベストを尽くしてるんだけど、ヘンかな」 というような気持ちなのではないかとも思った。 たとえば、今日の朝、普段だったら絶対だらだらしている時間に、 私の体がどうしてもこの映画を見に行くために動いたように。 自分の意思なんだけど、それだけじゃないというような。
アメリカではものすごい反響で、映画が終わったあとには、 スタンディングオベーションなどが起きているらしいが、 長崎の観客、しかも初日の一番の上映に駆けつけた人にしては、 悲しいかな、かなりのテンションの低さだった。 理由はいろいろ考えられる。 まず、言葉が多い。 インタビューがどんどんつなげられているので、次から次に字幕が現れて、 しかもそれを考えながら処理しなくちゃいけないから、 追いつけない人も多数出てくると思う。 さらに、舞台はアメリカで、出てくるのがほとんどアメリカ人。 これは当然の話だが、たぶんアメリカに住んでいれば、すっと分かる状況や、 言い回しや、共通の認識が土台になっている部分もあって、 その土台のなさゆえの、わかんなさがある。たとえば企業の名前など。
でも最大の原因は、 (もちろん私が観た回のお客さんがすべてを語るとは思わないけど) これだけのものを見せられても、 これを自分とつながりのあるものとして捉えられないほど、 日本人がものを考えないようになることに、誰かが成功しているからだ。 ラストシーンが終わり、スタッフロールが始まった瞬間の、 堰を切ったような帰り方と言ったらなかった。
私の隣に座った初老の女性は、 映画が始まってからも、猛烈にケチャップ臭いホットドッグを食べ、 氷をガジャガジャ言わせてジュースを飲み、 20分ほどで眠りにつき、 帰りにはご丁寧にホットドッグの袋を床に残して去った。 彼女だってたぶん、この映画を観るに当たっては、 何かしらの、平和なら平和でもいいけど、思いがあって来たんだと思う。 しかし、そういう人に至っても、これだ。 日本人は、あのあからさまに頭の悪そうなイメージで語られるアメリカ人より、 もっと深刻な事態になってるんだろう。
だけど、暗い気持ちにはなるまい。 そんな気持ちこそが、誰かの思うツボの第一歩なんだから。
それにしても、これ、小泉バージョンも観てみたい。 アホさ加減ではブッシュに負けず劣らず作れると思う。 「摂氏815」とでもするか。
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