ぴんよろ日記
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今日は原爆の日。 私の部屋から見える一帯は、59年前の今ごろ、焼け野が原だった。 どんな匂いだったんだろう。
普段は原爆とか平和とか、 観光のネタのひとつくらいにしか思ってないイトウとかいう人が、 神妙な顔で平和宣言だってさー。ぷぷ。 「被爆体験の継承!」だなんて、 新興善壊した人間の言うことじゃなかろう。
戦争したくてたまんないコイズミとかいう人が、 退屈そうな顔して献花してるのも、 おつとめご苦労さんという感じで笑えた。 「平和憲法遵守」なんて心にもないこと言ってるし。
もちろん式の中心には、 「これで俺の名前が残る」と喜んだジイサンが作った像が。
矛盾を絵に描いたようなひととき。 頭のわるいオッサンたちの祭典。
絵に描いたようなことに包まれて、 そうでない、ほんとうのことが、ひとつひとつ消えていく。
国際的なナントカカントカ、 政治的なドウトカコウトカ、 そんなことを考える考えないは、どなたさまも自由だけど、 近くに原爆が落ちたら死ぬ、それだけは確実。 式典会場の「遺族席」という看板が見えたとき、 なぜかいままではそう思ってなかったけど、 そういえば親類の中には原爆で死んだ人がいるんだから、 自分が座っててもいいんだと思って、ズーンとした。
原爆でなんて、死にたくない。 即死ならまだしも、すごい火傷や放射能で苦しんで死ぬのはたまらん。 でも、そういうことって、 広島や長崎の人はわりと見聞きして育ってるけど、 よその土地や、ましてやアメリカの人なんて、知らないだろうから、 自分のとこに落とされたら?なんて想像することもできなくて、 「爆弾はスゴイ方がいい!作りたい!落としたい!」 って思うんだろうな。
あぁ、でも、死にたい人が落とすんじゃなくて、 殺したい人が落とすんだった。
殺されたくないなぁ。 あんな頭わるそうなオッサンたちには。
そんなことを考えていたら、大粒の天気雨が降ってきた。 久しぶりに雨を見た。 この雨が59年前に降っていたら、少しは、ほんの少しは、 たった数秒でも、焼けた体に気持ちがよかっただろうか。 でもその時降ったのは、いろんなものを吸い込んだ真っ黒い雨。 ちょこざいな言葉でお茶を濁す人々に代わって、 何よりの供養…になればいいけど。
それにしても天気雨。 意味深な、天気雨。
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