ぴんよろ日記
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2003年12月06日(土) 千日行の番組を見て。

ずいぶん前に撮っておいたNHKアーカイブスのビデオを見た。
千日行という、厳しい修行をするお坊さんのドキュメンタリーだ。
その行は、終えるのに7年もかかるし、
毎日何十キロも山を歩いたり、
あいだには、飲まず食わず寝ずの9日間を挟んだりしないといけない。
何十年だか何百年だかのうちで、何十人しか成功していなくて、
しかも、挫折する人は原則として死ななきゃいけないという…。
「堂入り」という「飲まず食わず寝ずの9日間」を中心に構成されていたのだが、
日に日に、そのお坊さんの目が遠いところにいってしまう。
「5日目、瞳孔が開いたままに…」
なんて淡々とナレーションが入るのも、うわー、だ。
結局そのお坊さんは、堂入りもやりとげ、
その後の修行もこなし「満行」するのだが、
番組が終わって、あの、案内役のゆったりしたおばさまが、
その2年後には、また千日行に挑戦して、それも満行したというので、
もう、何が何やら、人の心と体の可能性とは、どうなっておるのじゃ、と思った。
最後に、現在の、すっかりおじいさんになったそのお坊さまがインタビューに応えておられた。
二度の千日行から得たものは、
「一日一日は、全部違う日である」
ということだけだと。
よくいわれることかもしれないが、
あの行を見た後だけに、それがドドーンと心に打ち寄せた。
毎日同じものを食べ(しかも、うどんとじゃがいもと豆腐)、
同じ道を歩くだけの毎日をくぐり抜けてきた人がそう言うんだったら、
頭を下げて聞くしかない。

もうひとつ、その番組で思ったのは、
自殺のパワーの大きさだ。
自殺する方は、つらくて自殺するんだろうけど、
この世では自殺すればそれで終わりにできる。
(あっちの世界では、またまた苦しいらしいですが)
でも、自殺された方は、そのことによって、
とてつもなく暗くて深いスタートラインに立たされる。
そのお坊さまは、奥さんに自殺されたのが出家のきっかけだったらしい。
千日行を決意表明したのは、彼女の命日だったと。
もちろん、身近な人に自殺されたからって、
そこまでしなくても、と思う人が大半だろう。
でも、それもまた「一日一日」と同じで、捉え方は人によって、
思っているよりもずいぶん違うのだ。
さらに彼が、たくさんの人から讃えられる千日行を2度も満行したからといって、
たとえば「奥さんが自殺しなかったらできなかったし、偉い坊さんになれて、結果オーライ」
なんて考えることは、恐ろしいことだ。
そんなことは、彼にしかわからないし、きっと違う。

いま、思い出した。
小学校に上がったころだったと思うけど、
私の幼稚園の先生が自殺したことを。
そのことを思うと、寂しい糸がすーっと彼女から延びてくる気がする。
自殺は、きわめつけに寂しいことだ。
寂しさの大半は、
心が通う人が(物理的な距離の問題は別にして)そばにいないことから起こる。
だとすれば、寂しさのきわめつけが自殺だろう。

彼女が、どこか、山小屋みたいなところで死んでたって聞いたのが、
今でも妙なリアルさでよみがえる。






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