ぴんよろ日記
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ずいぶんと間が開いてしまったが、なかなか反響のあるシリーズだった。 男に逃げられそうなお姉ちゃんが将来を思いながら注文を取ったあとは、 (あくまで形容) 前の人が使ったオシボリをテーブルと窓の間に発見したり、 隣のテーブルのお客さんが「えー、ワインって、赤と白があるの?」 「ロゼとかもある」と盛り上がっていたり、 私たちはいっぱしにコース的注文をしたけれど、 他の人はほとんどハンバーグやスパゲティで、 やっぱり最初から思っていたものが違っていたと分かったりした。
肝心の料理は、例の5種盛りオードブルまでは、 まだ無難なホテル料理という感じで良かったのだが、 (アスパラのチーズ掛けはおいしかった。) メインの肉も魚も、特に魚にいたってはちょっとあんまりだろうという味だった。 白身を軽く焼いて、フレッシュトマト仕立てのソースで、という、 書いてしまえばとてもおいしそうなのだが、 油は多すぎるし(ほとんど魚が泳いでた)、 トマトはなんだかあまりにも冷たいし(意図的じゃない感じで)、 なんといっても魚の身が、二度焼きかというくらい火が通り過ぎ。 (あ、ここで別の店の話をします。これは実名を出す。 浜口の「日本橋」という居酒屋で、アナゴの天ぷらが二度揚げだった。 アツアツだがカチカチという、頭を抱えるような代物。かなり眉間にしわが寄った) 私が頼んだチキンのハーブ焼きも、もちろんハーブはドライだし、 (あとで見たら、鶏は冷凍もの) 無理矢理ご飯の(ライスってとこも、まっとうなフレンチではありえない) おかずにして口に押し込んだ。 このあたりまで来ると、暗い気持ちというよりも、 このひどさをどう表現するかで2人は盛り上がり、 それなりに楽しいといえば楽しい食事だったかもしれない。 全般的に油っぽかったので、コーヒーを飲みたいとは思ったが、 これ以上この店にお金を落とすのはやめようということになり、出ることにした。 帰り際に厨房を見てみると、ふきんは真っ黒だわ、物はゴチャゴチャだわ、 シェフ様はガム噛みながらつまんない顔してるわで、 (また蒸し返しますが、目の前に支払いをしている客がいるのに、一瞥もしない) 「さもありなん」とはこのことだと分かった。 この時ハハは、ケーキのケースをまじまじと眺めていたらしい。 「どれもカピカピに乾いていた」と報告してくれた。
外に出ると、漁り火が浮かぶ海が、相変わらず美しかった。 それだけにこの時間の空しさが、胸をよぎっていく。
とにかく「愛されていない料理」なのだ。 きっとあのシェフ様だって、初めからこんなじゃなかっただろう。 事実、この店に行ったことがある人からは「そんなにひどくなかった」ということも聞いた。 でも、なんかいろんなことがあって、こうなっちゃったんだろうと思う。 (クリスマスツリーを飾ったあたりで時が止まったのかもしれない)
「ダメな店」と「ナメた」店というのは微妙に違っている。 「やり方」が悪いのが「ダメな店」で、「あり方」が悪いのが「ナメた店」だ。 それはどんなに高級な店だろうが、街の定食屋だろうが、路地裏のお好み焼きやだろうが、 それぞれに「ナメた店」はある。 だからほら、ビンボーを脱出するとかいう番組で、 気持ちの持ち方と、ちょっとしたやり方を変えれば繁盛していったりする。 でも、また前のように良くない気持ちでやるようになると、ぱたりとダメになる。
ピントが合ってない店も、最終的には料理と客をなめてると思う。 「すし/焼き肉/ラーメン」だなんて看板が上がってる店が、 おいしいはずがない。人間はそんなに器用じゃない。
もちろん、シビアに味を追求する店ばかりじゃなくていい。 それはそれで、「ほどほどの料理がいろいろあってくつろげる」という、 「味シビア」店とはちがった方向性もあっていいのだ。 いつも繁盛してる居酒屋なんかは、これだと思う。 こだわりの押しつけというのもつらいから。
つらいのは、やっぱり、今回の店のように、 作っている人が、自分のことを悪い意味で減点しちゃってるところ。 「しょせんこんなものさ」という切ないあきらめが、 現実的経済不安定要素とないまぜになって、 寂しい料理となって出てくる。
「客の目を見ることができない店」
何をおいても、これがナメ店の神髄だと思うのであった。
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