ぴんよろ日記
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2003年02月07日(金) じじのにじ。

今日はたぶん、じじの命日だ。
「じじ」とは、じいちゃんのこと。
私によく似たじいちゃん。
宝くじを買ってしまうところなど、遺伝子を色濃く感じる一人だ。

「たぶん命日」なんて、バチが当たりそうだが、
2月の2や3や4でもなく、8、9でもなく、
5でも6でもなかったような気もするし…ということで、7だろう。
ひょっとしたら違うかもしれない。

たぶん命日だろうということで、骨がある寺に行ってみた。
寺町の由緒ある古いお寺だ。
といっても、代々そこの檀家だったわけでもなんでもなく、
乱暴に言えば、じじの死後、なりゆきでそこに決まった。
よく言うと「縁あって」ですね。
実は戒名も2つ目だ。戒名変えるヤツなんていないぞ、普通。
カッコイイなぁ。さすがじじ。
2つの戒名に共通しているのは「梅」。
最初のは「梅渓登関信士」で、次のは「梅林院登詣信士」だったかな?
違うかも。でもそんな感じの。
つまりは「梅の季節に死んじゃった登(のぼる)さん」ということだ。
今日もお寺には梅が咲いていた。

古いお寺の新参者なので(といっても、もう10年近く経つなぁ)、
納骨堂すら順番待ちで、骨は納骨堂のどっかに置かれている。
本人はたぶん、どんな戒名が付いていようが、どこに骨が置いてあろうが、
あんまり気にしてないと思う。

お寺の庭のベンチに座って、ぼーっとしていた。
そのお寺の庭は、日当たりがよくて、いろんな木や花があって、
小さな極楽みたいなところだ。
かすかに梅の匂いがして、絵に描いたように鴬も飛んできた。
遠くの木に目をやると、風で動いている。
音は聞こえないけど、近くに行ったら「ざぁ〜」といっているのだろう。
その揺らぎを見ていたら「じじは自然に戻ったんだなぁ」と思った。
その揺らぎそのものが、じじなんだろうと。
梅の花も、蘇鉄も、鴬も、「来ないかなぁ」と思ったら来た猫も、
みんなじじなんだ。

自然というのは、ぼよーんと大きな存在で、いつも揺れてて、
その揺れから生まれた波が形になって、時々人間になったり、
木になったり、猫になったり、雨になったりする。
形になっている時間は、人間だと平均7〜80年、雨だと数分。
その時間が終わったら、さらさらと、また元の自然に戻っていく。
…そんなことを、「思った」と言うよりも、「わかった」。

そういえばゴル(長年飼っていた猫)が死んだときも、
翌日別の猫を見て「これからはどの猫もみんなゴルなんだなぁ」と、
妙に明らかに思えた。

家に帰って仕事をしていたら、窓の空に、
すうっと虹色の光が1本出た。
この部屋に3年暮らしているけど、初めて見るような光だ。
なんだろう、と思ったけど、すぐに「じじだ」と思った。

こんなふうに思うことって、受け入れられないことの方が多いし、
説明しろって言われてもできないけど、
そうなんじゃないのかなぁ。


※命日は6日でしたとさ。



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