2005年04月18日(月)切るという衝動





今年度に入って人と話す機会が減りました。
友人たちと申し合わせず授業を取ったところ、
月曜日以外全て一人という寂しさ。
一人で学食でご飯を食べるという虚しさ。
とか、思ったより感じないようです。


アメリカのありがちなコメディでちょっといい映画を観ました。
ありえない設定の主人公が突然襲ったハプニングを乗り越えて人間的に成長した上に、
恋も勝ち取るというハッピーエンド。
軽くて何も考えずに見れる類の映画。
それでちょっと思い出したけれど、
感情的でありたいという話。
それは、少しずつ解凍できているような気がする。
別にもとからものすごく凍っていたわけではないし、
生まれたときからとか、小さいときからそうだったわけでもないから、
(私にとっては)結構簡単なのかもしれない。

多分最近すごく疲れていて、
その、知らない人とさも親しげに話をするという行為が、
得意ではあるけれども無理をしていることだから、歪を生んで生んで、
結構限界が来た時に、連れとかに何気なく言われた言葉に、
もうごく普通の言葉だったにもかかわらず、
嬉泣きなのかなんなのかよくわからず電話口で泣いてしまったりして。
よく泣けたなぁって思った。あとから考えてだけど。
泣けるようになったなって思った。


フライングだけはしたくない。
だから人とあんまり親しくなれずに、友人が少なかったりするのかな。
相手にどう思われようが構わない、って前書いたのも本当だけど、
でも、温度差があることを、自分のほうが先へ先へと行こうとしていることを、
相手には絶対に知られたくない。
それすら感じない関係もあるけれど、
普通の友人関係なら。
だから、なるべく冷たく何も気にしてないようにしてるんだ。きっと。


歪が生まれて、それによってきたしわ寄せを、
引き伸ばして寸法を合わせるために来た切るという衝動だったんだ。
今頃。当時は何もわからずに。
ようやく自分が少しだけわかってきた気がする。



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