世間では寒波の御蔭で例年稀に見る厳冬がニュースのトップを飾っているようですが(北国出身で今猶北国に住む私としては常に冬将軍が暴れまくる銀世界で過ごしているので実感湧きませんが)、こういうときはどのような言葉をかけるべきなのだろう。「気をつけて」?「御苦労様」?「御愁傷様」?(否、最後のは失礼極まりないけれど)私は畢竟良い言葉を見つけることが出来なくて、当然かける言葉も見つからなくて、南方の知人を思いつつも無言で佇むことしか知らない。
兄帰宅から二週間。療養とは名ばかりの、相変わらず遊び暮らしている肉親に苛立ちながら、私は私で遣らなければならない年末の忙しさに追われている。自分自身の特質とも言うべき性質に気付いてしまってからは――嗚呼、そう、如何しようもなくなりつつある。其れは言葉を借りるのならば、『空の境界』で言うところの「起源」に近い気がする。或いは二元論的には「精神の根源」とか、ファンタジー的には「マナの集合体の核」とか、そんな感じ。何が良くて何が悪いのかということは所詮客観的な問題でしかないし、世界が変われば良悪も変わるものだし、また世間が変われば良悪も変わる。世界とか世間というのは時代でもあるし、また生活空間でもあるし。だから物事の善悪は容易に判じないことにしている――縦しんば私自身が被害者と呼ばれる立場であっても。況して私はメディアというものを信じない性質なので、情報は常に自分で判じるよう心掛けている。 他者を信用できないというのは――多分、否、必ず、過去の対人関係に何らかの原因があるのだろう。だから私のそういう性質も、何処かに原因が潜んでいる、筈だ。其れがもし私の 特質 と無関係でないというのなら、私は大いに思い当たる 原因 がある。一つではなくて、其れは多数で、過去だけではなくて、現在進行形のものだ。 知らなくていいこと、気付かなくていいこと――というのは、思った以上に多いらしい。
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