| 2004年03月04日(木) |
歓楽街の路地裏で2 /キャバクラ |
得体の知れない性風俗というのは数ありますが、その命名段階に謎が残るのがこのキャバクラかもしれません。「これって単なるクラブでしょ?」「パブとはどう違うの?」というキャバクラは、おそらく男衆が最も多く出入りする空間でもあるでしょう。 「キャバクラ」という音のイメージからは、僕は「若い女の子」とか「ちょっといかがわしい店」という印象を受けます。呼称のルーツは僕にも定かではないのですが、おそらくは「キャバレー」でもなく「クラブ」でもないという辺りかと推測しています。じつは僕自身、日本のキャバレーに入ったことはありません。海外旅行の際に、「正統派キャバレー」を経験したことはありますが、日本のそれは本場とはまるで違う世界であったに違いありません。 ご存知のように、キャバレーには踊りなどの「ショー」が付きまといます。クラブといえば、むしろ静かにお酒を飲む社交場というイメージでしょうか。それらのいずれでもないとなれば、キャバクラとは果たしてどのような空間なのかと要らぬ想像をめぐらすのですが、僕の経験からすれば、やはりキャバクラはキャバクラなのかと……思えてきます。 要するにキャバクラとは、じつに曖昧な呼称なんです。それこそ女の子が全裸になって接客するような店でもキャバクラと呼べば、普通のクラブの如く接客する場所もキャバクラです。日本の文化にはどこかファジーな側面があるものですが、性風俗のファジーはこのキャバクラという呼称に象徴される気すらします。まあ、男の欲望を満たすことができれば、呼称などさほど意味があるものでもないのでしょうけれど。 そんなキャバクラは、おそらくは僕が遊興を覚え始めた頃に生まれたのではないでしょうか。現代を闊歩する若者たちには、もしかすると僕が持つような疑問などないのかもしれないと思えるのは、草創期に遊んでいた故なのでしょうか。とにかく当時の僕らの胸のうちには、「キャバクラって何なの?」という疑問符が、常に浮き沈みしていたように思えますから。 僕がいわゆる夜の女たちと個人的な関係を持つようになったのは、そんなキャバクラに勤める女の子が切っ掛けでした。まだ結婚する前の、それこそ社会人になりたての頃の話です。普通、デートといえば昼間かもしくはディナータイムと思われるかもしれませんが、キャバクラ勤めの彼女を持つと、デートは深夜になってしまいます。こちらも昼間は仕事がありますし、あちらはあちらで昼間は体を休める時間になりますからね。 彼女が仕事を終え、僕と待ち合わせするのは決まって午前二時。場所は駅前に程近い大衆居酒屋です。その時刻の少し前になると、僕はいつも同じ席に腰掛けて彼女を待ちます。いつしか店員にも顔を覚えられて、店に入った途端「まだ来てませんよ」といわれる始末。あの時がもしかすると初めてかもしれませんね。自分が夜の世界へ入ったと実感したのは。 彼女は、キャバクラのなかでも質の悪い店で働いていました。平たく言えば、全裸で接客する店です。どこかのヘルスから流れてきたというだけあって、その脱ぎっぷりには目を見張るものがありました。僕自身は三度ほどその店に入った覚えがあるだけで、いきさつは記憶から失せてしまったのですが、なぜか恋人同士のように付き合っていました。誤解のないように書き添えておきますが、これは僕がまだ二十代前半の頃の話です。現在そのような店もあるにはあるでしょうが、そう数多くはないと想像しています。 彼女との日々は、そう長いものではなかったのですが、そのときに僕が学んだというか感じたのは、彼女のなかにある枯れた心と人一倍強い愛情への敬慕でした。その後も数名の夜の女性との関係を経て現在に至りますが、原点は間違いなくあの頃にあったと僕には思えます。まだ感受性が強い年頃だったせいもあるでしょうけれど、そんな時期にめぐり合った縁も蔑ろにできない気がします。 じつはそれから数年を経て、酒の勢いでとあるソープランドに入ったとき、偶然にも彼女とそこで再会しました。「あら」という程度でとりたててその後の話などしませんでしたが、堕ちてゆく女の構図をみた気がしたのは確かです。もちろん、それを生業としている以上、彼女にもそれなりの自負はあるでしょうし、必要が生む商売であるのなら、誰が否定するものでもないと僕は思います。けれど、ひとたびその世界の水を飲んでしまったら、そう易々と抜けられないのだなということを、若いながらも実感した瞬間でもありました。 曖昧な店キャバクラは、曖昧であるだけに女も組みし易く、されど確実に、夜の世界の入り口であるということなのでしょうかね……。 くどいようですが、いまどきのキャバクラは、僕が思うに単なるパブです。キャバクラに行ったからといって、変なことをしてきたという構図にはなりませんので、どうぞ誤解なさらぬように。
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