| 2004年02月18日(水) |
ヲトナごっこ三年目第一日 |
ちょうど二年前の今日、僕はこのヲトナごっこを開設しました。大人になりきれないヲトナである自分が、己をとりまく性をテーマに思索を試みることで、少しでも大人になろうとしてきましたが、いまだに……ヲトナのままのようです。 年頭に小説のことを書きました。ごっこを始める前は小説中心で書いていましたし、現在でも小説に対する意欲は薄れておりません。ただいかんせん、僕の書き方は時間がかかりすぎる。書きながら考えるということができないので、着想から構成や下調べという執筆までの時間が、呆れるほど長いわけです。それらの作業が、常に時間的側面で没頭できる状態にあるならまだしも、いまのようにコラムや写真などを手がけていては覚束ないのも道理かと思います。 そんな僕のなかには、常に戸惑いがあります。それは、これまでヲトナごっこで築いてきたものをそのまま踏襲したほうが安定しているという考えと、もう足掛け三年に渡って僕の胸中にある「ふたつの物語」によるものだと感じています。コラムと小説を両立できないからには、この想いはどこまでも燻り続けていくのかもしれません。せめて、物語のひとつでも形にして吐き出せば、少しは楽になるのでしょうけれど……。 過日、「Figure」という写真コンテンツを公開しました。それまでも写真をコンテンツの素材として使用したことはありましたが、写真だけで勝負するようなものは初めてです。土台が物書きと自認していますし、まだまだ写真の技術も未熟だとは思うのですが、創作という観点からすれば、これもひとつの表現方法に違いなく、新たなヲトナごっこの世界が展開できるのではなかろうかと考えています。 写真は、僕のなかでは「絵」という認識が根強く、若い頃から好きだった絵画の世界の延長にあるような気がしています。じつは十代の頃に、そんな絵画好きが高じて油絵を少々かじったことがあったのですが、あまりの不出来に筆を投げてしまいました。指先のタッチがそのまま形となってしまう絵画と比べて、写真は僕にとっては組みし易かったのかもしれません。 もちろん写真も奥が深いに違いありませんが、とっつきやすいという側面は誰もが認めるところであろうと思います。さりとて物書きが主であると自認していますので、かなり不定期にはなるかと思いますが、「Figure」もこれからのヲトナごっこの大きな脇役となれるように、少しずつ構築していければと考えています。 不惑の四十を過ぎて早二年が経過しました。三十八で思いがけぬ実父の急逝にでくわし、ある意味で一族の柱とならざるを得なかった境遇を思えば、四十で一応の不惑を覚えたところで、何ら不思議はないのかもしれません。だからといって迷わないわけではなく。おそらくは生きている限りは、何らかの命題を胸に、僕は迷い続けていくようにも思えます。 文字にしても写真にしても、そこに僕なりの形を構築することは、迷ったり苦しんだりしながらも、やはり自分自身を見極めたいという衝動からの所作なのでしょうか。男が男であることの意味。女が女であることの必然性。そして、僕が人間であることの確認は、これからもそれらの媒体を通して模索され続けてゆくような気がしています。 生きてゆくのはたいへんで 辛苦も涙も途切れることがなく それでも僕は生きている それでも君は生きている 息を吐き まなこを開き 僕も君も 生きている ---- Information ------------------------------ 【Figure Vol.1-Final:Net 公開】
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