| 2003年12月15日(月) |
【番外編】言い出せなくて /セックスレスの一因 |
三大欲のひとつともいわれる性欲を、夫婦の関係から切り離して考えるのは、やはり無理があるのでしょうか。セックスレスという言葉を裏返すと、どこか「セックスしている関係が正常」であるかのようなイメージがつきまとう気がして、少々首をひねりたくなってきます。 そういえばセックスレスに関して、過去にもコラムを書いたなと思いつつ紐解いたら、昨年末に二篇を公開しておりました。今年の公開ではなかったんですね。もう一年経つのかと感慨もひとしおですけど、やはりあのときも反響がかなりあって、お手紙も幾通かいただいた記憶があります。セックスレスという状況に対する悩みや想いは、人知れずそこここで燻っているものなのだと実感しています。 過去三回、セックスレスをテーマに書きましたが、僕のなかにはふたつのコラムに寄せる想いが現在もあります。ひとつは「夫婦(もしくは親しい間柄)だから言えないこともある」ということと、「セックスだけが夫婦ではない」ということです。前者はセックスレスの原因に関することで、後者はその解決策を模索する上でのヒントといえるかもしれませんね。 セックスレスの原因も多岐にわたるとは思いますが…… ・浮気行為等により、伴侶以外の異性と関係を持っている ・SM等性行為の認識に隔たりがありすぎる ・思っていることを言えずに縁遠くなる ・セックスそのものに飽きてきた、もしくは淡白 ・嫌われた
他にも色々ありそうですが、こうして列挙したものをよくみてみると、いずれにおいても「コミュニケーションの不具合」が感じられる気がします。 気持ちのやり取りというのは、極めて難しいものです。「言わなくてもわかるでしょ」と仰る方もいますが、そういう人ほど核心を歪めてみていたりします。言わなければ伝わらず、言わなければわからないのが人間であると悟るべきでしょう。さりとて、表題にもあるように、言いたくても言い出せない状況というのがあるから、話はややっこしくなってくるわけです。 僕の経験上からは、同じ要求を幾度も繰り返し拒絶されると、次第に要求し難くなるという状況がありました。意外と多くの方が同じ経験をされているだろうと推察もしています。拒むという行為を、おそらくは当事者はそれほど深く重い意味で成しているわけではないのだと思います。とても単純な理由で、極めて軽い態度で反応を返しているのでしょうが、それが積み重なると、人の心に足かせをはめてしまうということがあるんです。 人は、自分以外の人との関係が悪化することを望みません。夫婦や恋人ともなれば、なおさらのことでしょう。「言ってくれればいいのに」と後になっていわれても、幾度となく拒否されることによって、「これ以上要求すると嫌われるのではなかろうか」という想いが心に芽生え、言い出せない状態を作り出してしまうもののように思えます。 これを回避するには、やはり相手の言葉に真摯に耳を傾けるしかないでしょうね。同じ拒絶するにしても、短い言葉で処理してしまうのではなく、「気持ちは嬉しいけど、いまは〜の理由があるから駄目」とか、「今日は駄目だけど、いついつならいいわよ」とか受け答え方を工夫してみるといいかもしれませんね。 セックスレスという状況を目の当たりにして、どうしても相手とのセックス行為に固執してしまうと、少々問題解決は難しくなる場面もあるように思えるのですが、そのようなセックスレス意識から脱却する方法は、幾つかあるような気がしています。とりわけ、「セックスだけが夫婦の関係を決めるものではない」という価値観は、セックスレスという問題にとどまらず、僕にはとても大切なものの見方のように思えるものです。 夫婦がともに人生を歩んでいく上では、セックス以外にも大切にすべきものは沢山あるはずです。心も体も愛して欲しいと望んで、殊に満たされない肉体の火照りに神経が行ってしまうと、とかく人はそれにのみ視線が向いてしまい、視野が狭くなってしまうことも少なくないように思えます。 されど、セックスだけが夫婦ではないと思えるようになれば、他の「繋がり」もセックスと同等もしくはそれ以上に感じられて、そこから新たな夫婦の関係が構築されてゆくのではないでしょうか。僕自身はそのようにして、セックスレスという状況を乗り越えてきたと思い返されます。 五月に公開したコラム本編でも触れたのですが、セックスレスだからセックスしてはいけないという道理はありません。多少複雑な物言いになりますが、セックスレスという状況下にあって、あまり必要以上に「セックスできない」と思い込まないほうが、僕はいいのかとも感じることがあります。 それは、前述したように、セックスだけが夫婦関係ではないとはいいつつも、一方では、生き物としての人間を考えたときに、種の存続がその使命であるならば、やはり性行為は自身の存在を裏付ける重要な行為であると、本能的に体に刻まれている側面も否定しきれないからです。ですから、状況は状況としても、せめて思い込みで自身を奈落へと突き落とすようなことだけは、避けたほうが賢明だという風にも思っています。 夫婦間でそのような問題を、忌憚なく話し合えればいいのでしょうけどね……なかなか難しい問題に違いありません。
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