| 2003年10月23日(木) |
オナネタの違いで学ぶ男と女 |
オナニーを手伝うネタに何を選ぶかは、男もそれぞれ女もそれぞれという所がありそうにも思えるのですが、概して、そこには男女の性の違いによる背景が潜んでいる気がします。オナネタを考えることは、男女を理解するに好都合なんです。 僕がこのヲトナごっこを始めた衝動は、世にアダルトサイトは数あれど、そのなかに大人の女性が愉しめるサイトが少ないのはなぜだろう、という辺りからでした。アダルトというとどこかいけないもののように捉えられがちですが、成人に達すれば楽しんでも誰も文句を言わないコンテンツなのに、三十四十を越えたいい大人がこそこそ見るのは変ですよね。堂々ととは言いませんが、ごく普通に一般のコンテンツと同じように愉しめる世界であっていいはずです。 男だからとか、女だからとかという物言いは、僕はあまり好きではありません。男だからアダルトが好き。女だからアダルトを見るのはおかしい。そういう物事の判断は、どうも僕の性格に馴染みませんし、それが前述した「大人の女性が愉しめるアダルトコンテンツ」の疑問へと繋がっていったのだと思います。 それともうひとつ、かつて僕は某アダルト動画配信サイトのお手伝いをやっていたことがあったのですが、その頃やはり、どうして女性の客が少ないのだろうかと不思議でなりませんでした。いま思えば馬鹿馬鹿しい気もするのですが、男連中がこれほど寄り付いてくる動画の世界を、女だってきっと好きであるに違いないと、当時の僕は本気で思っていたんです。それはおそらく、まだ気づかぬ世の多くの男連中の意識でもあろうかと推察してもいます。 ヲトナごっこを開設して、さまざまな女性から話をきくことができました。当初、僕が女性に寄せる質問はいつも同じで、「アダルト動画は好きですか?」とか「オナニーのネタは何ですか?」という類のものでした。そうストレートに訊いたわけでもありませんが、サイトの性格を理解してくれた女性たちは、割と忌憚の無い言葉を返してくれた記憶があります。 冒頭で書いたように、男といえども、女といえども、それをひとまとめに括って論ずることなど無理に違いないのですが、概して「男は視覚に遊び、女は想像に戯れる」傾向が強いように感じています。わかりやすく言えば、男はアダルトビデオをみてオナニーをし、女は官能小説の世界に身を委ねる、という感じでしょうか。男は直感的かつ即物的であって、女は感覚的かつ精神的であるという言い方もできるかと思えます。 その違いの主因をどこに求めるかも、また難しい気はするのですが、ひとつの拠り所として、生き物としての生殖活動にそれをみるのも間違っていないかもしれません。つまり、男は種を撒いて己の種を存続させることを目的に生き、女は胎内に芽生えた生命を大切に育むことを目的とするという考え方です。 種を撒く行為は、極めて即物的です。その為には、あれこれ面倒な回り道などせず、視覚や聴覚という直感的な刺激によって精子を目一杯生産し、それを次から次へと種の存続のために放出することが肝要でしょう。一方女性は、胎内で受精した生命を育てる際に、少しずつ自身の胎内で成長する我が子の将来に思いを馳せます。父親よりも母親のほうが子供への愛着が強いとよく言われますが、その背景には、自分の胎内から生まれ出たという事実以外にも、そのプロセスにおける小さな生命への思いいれもあるのではないでしょうか。それはどこか感覚的であって、やはり精神的な面が大きいもののように僕には思えます。 このようなコラムを書くようになって、折に触れてトラブルの相談などにも耳を傾けているわけですが、いつも思うのは、その辺の男と女の性に対する認識の違いが、トラブルの背景には見え隠れしているということでしょうか。話をきけばとても単純な違いのように思えるでしょうが、それが現実に目の前にあると、なかなか背後が見えてこないのが当事者というものなのかもしれません。 何をネタにオナニーするかということを、くだらぬ低俗な話だなどと思わず、一度恋人なり夫婦なりで話あってみると面白いかもしれませんね。そこにはきっと、男と女の違いが歴然と見えてくるはずです。違いを知るというのは、とても大切なことなんです。男と女が違うのは当り前だろう、などと思ってはいけませんよ。その当り前を具体的に認識できていないから、さまざまな食い違いが生じるわけですからね。 そしてその違いが、愛撫や性行為そのものの違いにも結びついていることが見えてくれば、ある意味で打開の道も開ける気がします。男に己の直感的かつ即物的な姿を認識させ、女はまるで違う感覚を持っていることを知らしめることができれば、互いの感性を融和させつつ展開する次のステージも、そう遠くないのではないでしょうか。
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