| 2003年10月20日(月) |
自分を変えたい人々へ |
このようなコラムを書いていると、あたかも人生相談のようなお手紙を頂くことがあります。とりわけ、自分自身への嫌悪を覚えている方は少なくないようで、「変われるかしら」と訊ねられる毎に、僕はいつも「変われます」とお答えしています。 生まれ変わりたい、やり直したい、人生にはとかくそういう想いがつき物です。人の心には常に主観が付きまとい、思うに任せない状況を望み叶わずと判断するからなのでしょう。しかし残念というか無情というか、時間というものは逆戻りするどころか、その歩みを留めることすらしてはくれません。思い通りに運ばない人生のなかで、手をこまねいて時間の流れだけをただ見つめている人は、決して少なくないんです。 さりとて、誰もがそれに甘んじているわけでもないでしょう。その状況から脱して、一見何の変化もないように見えても、それまでとはまるで異なる幸せな人生を歩む人も、この世には数多くいます。幸福より不幸を望む者などいないはずです。誰もが幸せを求め、ただその一点のみを目指して歩くのが人生だともいえる気がします。 そのためには、納得しきれない現状から抜け出すには、やはり自分自身を変えなければならないと、そう考えている人も多いことでしょう。ところが、生まれながら体の隅々にまで染み付いている自分の性格というものを、果たして本当に変えられるものだろうか。そこで悩んでしまい、先へと進めない、あるいは進む先を見つけられないでいる方を僕はよく見かけます。 十数年ぶりの旧友との再会。僕の中学卒業時のクラス会は二年に一度くらいのペースで行われているのですが、毎回参加する旧友とは別に、およそ卒業以来ではなかろうかと思えるほど久しぶりに再会する仲間がたまにいます。なかには、とても中学時代からは想像できないくらいに、大きな変貌を遂げた友人もいるんです。 彼らと言葉を交わすと、大方はあれこれ考えるのが面倒になったというような、多少投げやりな返答がきかれるものですが、酒の席でのことですので、その言葉の裏には相当の葛藤があったであろうといつも拝察しています。けれど、ぼそっと口にした「面倒になった」という言葉の裏側に、じつは「人は変われるんだ」という確信への道筋が隠されているもののように僕には思えてなりません。 まず基本を考えてみましょう。本当の自分の姿です。多くの人たちは、おそらくなにがしかの「しがらみ」のなかで、自分というものを少なからず繕って生きているはずです。自分が所属する環境やグループに適合できるように、自分自身を合わせているといってもいいでしょう。それが本来の自分に極めて近い姿であるならば、誰も悩んだりはしないはずです。異なるから悩みもするし、どうにかしたいと思うのではないでしょうか。 変われるか否かを考える以前に、まずは本当の自分というものをどれだけ正確に把握しているかを見極めて欲しいと思います。大抵は「嫌な奴ですよ」という答えが返ってきそうに思えるのですが、謙遜か理想が高いのかしりませんが、好きであろうが嫌いであろうが、世界でただひとつ確実であり唯一でもある自分という存在から目を背けてしまっては、よりよき人生の道など見つかる道理がありません。 嫌な奴だからそのまま表現したら嫌われるに決まってる。おそらくは、これが「変われない」と思う原因の核心ではないでしょうか。これまでも幾度か書いてきたことですけれど、好きか嫌いかを判断するのはあなた自身ではなく、あなたを取巻く周囲の人たちのはずです。それなのに、「わたしはピーマンが嫌いだから、あなたもきっと嫌いでしょ」と言い張っている。馬鹿らしいとは思いませんか……。 自分を見極めることがなぜ大切なのか。それは、自分を最も理解できる人間が、自分自身でしかないからです。自分以上に自分を理解できる人間など、残念ながらこの世には存在しません。であるならば、最も理解できる自分自身で、本当の自分というものをしっかりと認識してあげなければいけないでしょう。 そして、決して畏れることなく、ありのままの自分を表現してみて欲しいと思います。それはときに、あなたの隣人に嫌な思いをさせることもあるでしょう。けれど、所詮人間は、どこかで支えあって生きていかねば生きられないんです。至らない点があればそれを優しく補おうとする気持ちこそが、僕は愛というものではなかろうかと考えています。さらには、そうやってありのままのあなたを受け入れてくれる人こそが、あなたを本当の幸福へと導いてくれる人であろうとも思えます。 変わろうとするのではなく、本当の自分に戻ればいいんです。下手な理想を夢想し、自分らしくない姿へと変身することが幸福への道であるとは、僕には到底思えません。それは周囲を偽るだけでなく、自分自身をも偽ることになるのですからね。 さらに付け加えれば、本当のありのままの自分を曝け出せないということは、それだけあなたの隣人を信用していないという理屈にもなるでしょう。とても失礼な話ですよね。 僕は女性の素顔が好きです。化粧をしていない顔という意味ではないですよ。言葉を交わしていると、心のなかが見通せるような女性です。誰にでも一長一短ありますので、なかには気に食わない心を持つ人もいるにはいます。それでも、僕はそういう女性を素晴らしいと思います。反面、心が見通せない人は駄目ですね。つまらぬこだわりに縛られて、実にもったいないと感じてしまいます。 人間は十人十色です。いい所もあれば悪い所もある。けれどそれが、その人の個性へと繋がるんです。個性は意図的に作られたものではなく、その人本来の姿であるべきでしょう。是非ともそんな本来の自分の姿を、見極めて表現できるようになってください。そうすれば自ずと、「なんか最近変わったね」と周囲に言われるようになることでしょう。 それがきっと、あなたの幸せの道に繋がっているはずですよ。
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