山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2012年06月01日(金) 我が家(?)の雉

うちのまわりに雉が3羽いるらしいことが判明した。妻が買い物に行く途中や用事のたびにそれぞれ見かけるため、別々に3匹いるらしいというのだ。



そのうちの一羽が今朝隣の畑で悠然としていた。藤棚の下に佇み、ときおり「ケーン、ケーン」と鳴く。それがなかなか大きな鳴き声なのである。近くの神社の森からは鶯の鳴き声がひっきりなしに聞こえてくるのを背景に、その雉が思い出したように「ケーン、ケーン」と大きな声を出す。その様子を今日は我が家の窓越しに数分間眺めることができた。しかし、カメラを取りに戻っている間にどこかに行ってしまった。残念!なんとかカメラに収めたい。

今の時期家の周りは花盛りだ。北隣にはてっせん、南隣りには小手毬、東側にはゼラニウム、先日まではボタンの花が三色鮮やかに咲いていた。そして雉のいた東側にはもうすぐ藤の花が咲くだろう。そしてまた雉がやってきて大きな声を出すに違いない。

 定期的に診察に訪れる八戸赤十字病院の二階にある売店で見つけ、すかさず買い求めた本。タイトルに一発で惹きつけられた。

 古来、日本と朝鮮は切っても切れないほどに強い密接な関係を保ち続けてきたそうだ。当時朝鮮半島に南部には伽耶諸国という鉄を産する小国家群が存在したという。しかし私にすれば、タイトルからは「日本と朝鮮は当然にして一つの国になるはずだった」というニュアンスが読み取れる。これは私には違和感があった。古代においてある程度の交流があったにせよ、
�� 日本は島国であり、朝鮮と国境を共有していない。
�� 民族が異なる。
�� 言語が異なる。
�� 日本は仏教を受け入れたが、儒教については朝鮮のような受容はしなかった。
�� 日本も朝鮮も中国の政治制度を模倣したが、日本は宦官だけは受け入れなかった。
これだけの決定的な違いのある二国間で、一つの国になるという機運がどこかの時点で本当に発生していたのだろうかという疑問が、まず最初に頭を過ぎったのである。

 隣国でありながらなぜ友好関係を築けなかったのか。両国が民族意識の形成期に対抗関係にあったことが、この二つの地域を分けることになったという。6・7世紀の朝鮮半島統一をめぐる混乱の中で、ある時は日本と戦い、ある時ははからずも日本に従った。日本と朝鮮半島の文化の違いは、地理的条件からではなく、古代の複雑な政局の中から生み出された。そして地理的に近い日本と朝鮮半島が一つの国としてまとまることは決してなかった。というのが著者の考え方のようだ。

 しかし私は当時の政局よりも、まさに地理的条件や言語等の古代文化の違いが二つの国を一つにしなかった最大の原因のように思うのだが・・・。


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