山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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ちょっとした操作ミスで、さっきまで書いていた日記がすべて消えてしまった。この日記ソフトには「やり直し」というボタンがついているのであるが、あるときは入力のやり直しを意味し、さっきまで書いたものが一瞬にして消え去ることがある。このソフトの最大の欠点でもある。
今朝もちょっと体がだるいが、実は夕べ熱が37.5度まで上がった。特に何もしていないのに、である。想像するに若干運動した疲労がたまって、そのせいで少し熱が出たようである。ヤワになったものだ。
午睡をしていて、ふと目を覚ますと、そこに県の新産事業団へ派遣されている林下孝氏が立っていた。「どうも、しばらくです。」と見舞いに来るのが遅くなった詫びながら会話が始まった。事業団は河原木の新産会館に事務所がある。市とはそれほど交流はないため情報が入るのも遅くなったらしい。私が入院しているのもつい最近知ったとのことだ。
ゴルフの腕前もかなり上がっているらしい。今年は絶好調で、仲間うちでも上位を独占しており、既に年間MVP獲得を決めているとか。そのせいかどうか知らないが、事業団はヒマだからゴルフばっかりしていると思われるのがつらいと話していた。みなさん、彼はちゃんと働いているので誤解の無いように。
妻と付き添いを交替する娘のために、妻がケーキを買ってきた。Kパン社製のチョコレートケーキとチーズケーキが2個ずつである。紅茶を飲みながら娘といただいた。が、これはケーキか。スポンジがあのとろりとした舌の上でとろけるような食感がない。でもどこかで食べたことがある食感だ。さていったいこれは何だろう?娘と顔を見合わせてわかった。これはパンである。パン屋さんが作っているのだから当たり前か。でもこれをケーキと呼ぶのはどうか。
ケーキ(もどき)を食べているところへ、木村家系列のいとこ田村安恵さんと浪岡実明さんがフルーツを持って来てくださった。亡くなった木村家の主は喜一といってなかなかのつわものだった。娘たちの世話にもならずずうっと一人暮らしをしていた。そして仲間の所へ行った帰りには、しょっちゅう我が家へ立ち寄り、コップで一つか二つの牛乳で割った焼酎をあおり、上機嫌になって帰っていくのだった。時には機嫌がよくなりすぎて、私が車でアパートまで送ることもしばしばだった。最後までそうだったので、木村の人々は私たちにずいぶんと気を使ってくれる。特に親父には。
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