徒然なる日々。
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2002年06月16日(日) 思い出し悔しがり。

仮更新できてるんだからアップすりゃいいのに。
それすら面倒ってどういうことよ。

ぼーっとワールドカップ見ていて思い出しました。私にはドイツ人の幼なじみがいたんです。わーお。いんたーなしょなる。
現在の外国嫌いのワタクシから想像するのも不思議なほど、仲のいいドイツ人3兄弟の幼なじみがいました。お姉ちゃんはスーター、妹がインケン、弟がハウケ。年齢的に私はインケンのいっこ下でハウケのいっこ上という感じ。だからスーターはあまり一緒に遊んだ記憶はないのです。でもインケンは仲良し。本当に仲が良くて、隣に住んでるおばあちゃんに「またインゲンちゃんと遊んできたのかい?仲いいねえ」と言われては(それじゃ豆だ…)と心の中で突っ込んでいたものでした。日本的にインケンって名前気の毒だけどさ。や、イイ子でしたよ。向こうも私を妹のように可愛がってくれていたらしい。彼女の家に遊びに行くと、私は不思議なドイツ語を繰っていたらしいですよ。日本語はなせるのお母さんだけだったけど、小さい子って独特のコミュニケーションとるからムダに言葉通じなくても遊べたんでしょうね。それでもパーティなんかに呼ばれて一日中外国人に囲まれていると、帰ってきてヒステリーを起していたらしい。…もしかして今の私の外国人嫌いはここからきてるのかも。実際語彙の増えた6歳過ぎに急激に離れちゃったんですよ。私が小学校あがる頃には本国に帰っちゃったし、そのまますっかり忘れ去っておりました。実際今の私のわかるドイツ語なんて、グーテンターク、グーテンモルゲン、イッヒリーベディッヒ、ベーゼ等、初歩とか何とかでなく常識以下。でもなんか、数年前、確か私が高三の頃(だったかなあ?)遊びに来てくれたことが一度だけあったのです。
久しぶりに日本に来たのはおばさんと、インケン、ハウケの3人。インケンは大学で勉強中とかで、ドイツ語、英語、と日本語少しというバイリンガルに成長していました。ああ、でかくなってる…とかしか思いませんでしたけどね。だって、私実は幼稚園卒業後くらいからの記憶じゃないとあんまり定かじゃないんです。そんな人間が3歳から6歳までの幼なじみのことなんてろくろく憶えてるわけないじゃないですか。憶えてるのはドイツ語で見た霊幻導師のビデオ(何故)くらい。当時流行ってたからね。キョンシー。(笑)

そしてそのままときは流れ、またも私のお寒いアタマはドイツ人の幼なじみがいたことなどすっかり忘れていたのですよ。で、さっきワールドカップ見てるときにふと思い出した。
そういえば、私こないだ酒の勢いで「寡黙で真面目な外国人の彼氏が欲しい。出来ればドイツ人」とか分けわからんことを言い出していた気がする。
そんなシチュエーションに持っていける人がひとりだけいたじゃないか!
ハウケ!!!!

小さい頃、私とインケンの後を追いまわすことしか出来なかったちょっと粗暴な男の子を、私と彼女は寝てる隙に靴下で髪の毛結んでみたり、わざと置いてけぼりにしていじめたものです。でも、数年後現れた彼は、おとなしく寡黙で真面目そうないかにもなドイツ人好青年に育っていました。
ああ!もったいねーーーーーーーー!!!!!(死)
こんなチャンス二度とないのに、気付いたときにはもう相手と連絡取る手段すら判らん相手じゃどうにもなりません。そもそもインケンは簡単な日本語できるようになってたけど、ハウケひとことも喋らなかったしね。(それは寡黙じゃなくて喋れなかったとか言わない?)

ちッ!もし捕獲に成功していたら私超インターナショナルなバイリンガルになれてたかもしれないのに。もし…はありえないという定説はこの場合無視するのです。


マサキ