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2011年05月18日(水)
KONAMIの小島秀夫監督が、『メタルギア ソリッド 4』で起こした「革命」

『バカタール加藤のアノ人に聞きたい!』(エンターブレイン)より。

(『週刊ファミ通』に掲載されていた、元編集長・バカタール加藤さんと有名ゲームクリエイターの対談記事をまとめた本の一部です。遠藤雅伸さんの回から)

【バカタール加藤:学問的にもゲームを見ている遠藤さんから見て、日本のゲームというもののありかたと、海外のゲームのありかたの差で感じることはありますか?

遠藤雅伸:日本の特徴的なことを言うと、日本人は、若い人になればなるほど、人より前に出てやろうという気持ちが薄いですよね。海外だと、人を出し抜くとか、人よりも点数を上げるというのが大好きなので、ルールの中でできることなら何でもやろうということがよく見られます。相手より1点でもいいから多く取って勝ちたいとか。僕は勝ち負けでどうこうしたいとは思わないので、あまりこだわらないんですけどね。

加藤:確かに、日本人には和を大事にするようなところがあるかもしれませんね。

遠藤:だからこそ、ほかの国にはないようなゲームが生まれるのかもしれないですけどね。日本人が作るゲームは、丁寧に作るという部分だけが取り立たされていましたけれど、いまは海外で作られたゲームも非常に丁寧に作られた作品が増えているんです。難易度設定もしっかりしている。でも、最後の最後で突き放すんですよ。

加藤:ああ、なるほど。

遠藤:最後の最後で、「やはりこの部分はこうじゃないとダメだ」と。最後まで遊ばせたくないというか、「これくらいのレベルは突破してもらわないと、このゲームを極めたことにはならない」という、驕りみたいなものがあるんでしょうね。そういう意味では、KONAMIの小島監督が、『メタルギア ソリッド 4』でVERY EASY モードを作ってくれたのは、すばらしいことだと思います。

加藤:僕も思いました。アクションが苦手な僕でも楽しめましたよ。

遠藤:そのへんが日本人ならではの発想ですよね。本当に気持ちよく、最後まで映像が観られました。

加藤:『メタルギア ソリッド 4』では、とくに感じましたよね。それだけユーザーに伝えたいものがあるんだな、と思いました。

遠藤:ゲームが下手な人を許容してくれるという姿勢が、すごくうれしかったです。

加藤:任天堂さんも、ユーザーがクリアできないようなゲームを作らないようにしているな、というのをヒシヒシと感じますね。

遠藤:とにかくみんなにクリアーしてもらいたいので、クリアーの基準を低いところに設定していますよね。そしてクリアー後にも、やり込み要素として続きをしっかり遊べますという作りかた。僕は、これがいちばんいいと思うんですよ。】

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 僕自身は『メタルギア ソリッド 4』未プレイなので、この「VERY EASY モード」が、どのくらい簡単だったのかはわかりません。
 でも、この2人の対談の内容からすると、ノーマルモードよりは、かなりラクにクリアできるようになっていたと思われます。

 僕はゲーム大好きではありますが、大好きなだけに「EASYモードでクリアするなんて、そのゲームの本質を味わったことにならない」なんて、つい考えてしまうのです。ところが、アクションゲームはもともと苦手+年齢に伴う反射神経と粘りの衰え+時間の無さで、結局、クリアできないまま放置、ということになりがちです。

 ゲームにおける難易度設定というのは非常に微妙なもので、簡単にしすぎると「歯ごたえが無い、ヌルいゲーム」だと言われるし、その一方で、「一部のゲーマーにしか楽しめない難易度になってしまっているゲーム」も少なくありません。
 テレビゲームがこれだけ一般的な娯楽になってしまっていると、ゲームをやる人の腕も千差万別です。

 制作側からすれば、「VERY EASY モード」をつけると、短時間でクリアされてしまうとか、ゲームをクリアしたときの喜びが少なくなる、なんてことも考えてしまうと思うんですよ。
 遠藤さんは、それを「驕りみたいなもの」と表現されていますが、「ちょっと難しすぎるくらいのゲーム」のほうが、クリアできれば記憶に残っていることも多いんですよね。
 人間、つらい思いをしたことは、なかなか忘れない。
 ただ、いまの世の中にはゲームやその他の娯楽が溢れているし、制作者側が期待しているほど、プレイヤーはひとつのゲームに長い時間を費やすことはできなくなってもいるのでしょう。

 加藤さん、遠藤さんも仰っておられますが、「VERY EASY モード」をつくるというのは、制作側にとっては、けっこう勇気がいることのようです。
 何年もかけて開発したゲームだから、簡単にクリアされるのも残念なのかもしれませんが、難しすぎて途中で投げ出されてしまうよりは、はるかにマシのような気もするんですけどね。

 僕も含めて、「ゲームを遊ぶ側」にも「意識改革」が必要なのかもしれません。
 「VERY EASY モード」でクリアするのは別に後ろめたいことでも、もったいないことでもないし、自分の腕前に応じて、もっとラクにゲームとつき合っていっても良いのです。
 ああ、そういえば僕はファミコン時代からずっと「せっかくのゲームの先のほうをコンティニューで見るのはもったいないから」と、コンティニューを使わずに遊んでいて、結局最初のほうの面しか見られないまま投げ出すゲーム少年」でした。
 志だけは、高かったんだけどなあ……