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2010年11月01日(月)
明石家さんまさんが、師匠の家の廊下掃除で学んだこと

『「働きたくない」というあなたへ』(ズーニー山田著・河出書房新社)より。

(『ほぼ日刊イトイ新聞』の連載「おとなの小論文教室。」をまとめた本の一部です。ズーニーさんに送られてきた「竜巻小僧」さんのメール。

〈ラクと別物、わかってるつもりが……〉

”楽しく生きる”は、”楽に生きる”ではない。
 けれど、いつのまにか私たちは後者を前者の意味で使ってしまっている。”楽な生き方”を選んでいるならまだマシ。実際は選んだつもりで選ばされている。自分が楽だと思っている裏には、しんどいことを引き受けてくれている人がいる。それを忘れている人は想像力が欠如しているのでしょう。苦労することが不幸せなのではなく、生きていてもろもろつきまとう苦しさを楽しめる人が幸せなのではないでしょうか?

 ふと、あるラジオ番組で明石家さんまさんが言っていたことを思い出しました。10代のころ、笑福亭松之助師匠のところで弟子っ子修行をしていたさんまさんは、毎朝廊下掃除をやらされていました。
 ある冬の日、いつものようにぞうきんがけをしていると、酔って朝帰りしたらしい師匠が通りかかり、「なあ、そんなことしていて楽しいか?」と聴いてきたそうです。さんまさんが「いいえ」と答えると、「そうか、そうやろな」と一言。そのあと師匠がかけたのは、”だったら、やめろ”でも、”我慢してやれ”でもなく、「なら、どうやったら楽しくなるか、考えてみ」という言葉でした。それからさんまさんは、どうやったらぞうきんがけが楽しくなるか、一生懸命考えたそうです。もちろん、それで作業が楽になるわけはありません。
 しかし、あれこれ考えるうち、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなったそうです。
 人生で苦しいことをやらなければならないときは、必ずある。
 けれど、そこにささやかな楽しみや幸せを見つけるのは、知恵ひとつでできる。どんな状況にあっても、人間は考えることができるのですから。私はそういう知恵を持った人間でありたいです。(竜巻小僧)】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は基本的に、「ぞうきんがけが修行の一環である」という考えには賛成できません。まあ、教えてもらう立場として、師匠に何かお返しをするという意味で「合理的」ではあるのかもしれませんけど。
 でも、この明石家さんまさんと師匠・笑福亭松之助さんのエピソードは、すごくいい話だな、と思うのです。

 僕はこの話の前半を読んでいて、「ああ、さんまさんは、『ぞうきんがけをナメるようなヤツはダメだ!」と怒られるか、「ぞうきんがけなんて、しなくていいよ」と雑用をやめさせてもらえるかのどちらかの結末を予想していたのです。
 しかしながら、松之助師匠は、さんまさんに「ぞうきんがけを楽しむ方法を考えろ」と言ったんですよね。
 「ぞうきんがけなんて単純かつ単調な作業、どうやっても楽しくならないだろ。詭弁だよそんなの」と僕は思います。
 ところが、さんまさんは、その言葉を聴いて、「一生懸命考えた」そうです。そして、「あれこれ考えるうちに、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなった」のだとか。

 他人がやっているのを見ていると、「誰がやっても変わらないような「単純作業」でも、上手くできる人と、できない人の違いが、少しずつ生まれてきます。
 「単純作業」のように見えても、実際には、「ちょっとした勘所」みたいなのがたくさんあって、それを見つけだしたり、自分で工夫したりできる人は、どんどん「進化」していくのです。
 その一方で、「つまんないなあ」「かったるいなあ」とダラダラやっていては、いつまで経っても同じ失敗を繰り返してしまう。

 「こんなものはつまらない、工夫しようがない」とみんなが考えるようなものだからこそ、「面白さ」や「工夫できるところ」が残っているのかもしれません。そして、そのためには、「つねに考えること」が必要なのです。
 ぞうきんがけそのものは楽しくならないかもしれないけれど、「ぞうきんがけを楽しくするための方法を考える」ことは、けっこう楽しいのかもしれません。

 明石家さんまさんは「フリートークの名人」として知られていますが、「他人の話から面白いところを引き出すトークの技術」っていうのは、まさに「ぞうきんがけの中に楽しみを見出すこと」に通じているような気がします。