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2010年09月04日(土)
深夜の古本屋の「一枚でも怖ろしい張り紙」

『本当はちがうんだ日記』(穂村弘著・集英社文庫)より。

【例えば、家の近所の本屋のシャッターには「テレビは国を滅ぼす」「みるなテレビジョン」「テレビ悪」などと大書されている。店主が自分で書いたのだ。昔の暴走族のようにスプレーを使ったらしい。殴り書きの文字はインパクトがあるが、本屋ということを考えると内容的には一応筋が通っているとも云える。「本を読め」と遠回し(?)に云っているのだろう。
 たまたま入ったローソンの店内が、張り紙だらけだったこともある。「万引きお断り」とか「静かに」とか、棚の前には「ここにもたれるな」とか、まあこちらも書かれた内容というか意味はわかるのだが、店中におフダのように散らばった張り紙の数が半端ではないし、それが達者な毛筆なのも異様である。またいわゆる個人商店ではなくてローソンというところが、なんとも凄い雰囲気を作り出している。コンビニエンス・ストアという定型的で明るい現実の上に、誰かのあたまの中身がそのまま流れ出したようなのだ。
 ひとりごと女といい、張り紙ローソンといい、あたまの中身が流れ出す、というのがこういう場合のセオリーなのだろうか。
 一枚でも怖ろしい張り紙はある。それをみたのは深夜の古本屋だった。無表情な初老の男性がひとりでやっている店の、殺風景な店内に、唯一の張り紙として「それ」はあった。曰く「女子中学生は立読自由」。
 もしも私が女子中学生で、立ち読みをしながら、ふと目を上げたとき、顔の前にその張り紙があったら凍りつくだろう。「立読厳禁」や「万引きは警察に通報します」ならぜんぜん怖くないのだが。
 だが、ローソンにしろ本屋にしろ、張り紙の主はまがりなりにも店長や経営者である。彼らは「テレビ悪」とか「女子中学生は立読自由」とか、あたまの中身を垂れ流しながらそれなりに逞しく生きているのだ。そう考えると、あれこれを気を遣って、しょっちゅうもう駄目だと思いながら、びくびく暮らしている自分が虚しくなる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕がいま住んでいる街にも、こういう「謎の張り紙ショップ」があるんです。そこは自転車屋なんですが、店の宣伝から、エリカ様ネタ、小沢さんへの批判まで、白い半紙に毛筆で書かれたものが、店の表面を覆い尽くしています。
 中に入ったことはないので、店内がどうなっているのかは、わからないんですけど。
 僕はこの店を最初に目にしたとき、「あっ、これ『VOW』に載りそう!」って思いましたが、この穂村さんの文章を読むと、こういう「張り紙ショップ」って、全国にけっこう散在しているのかもしれませんね。

 ここに紹介されているもののなかでは、『張り紙ローソン』にはちょっと驚きました。
 ローソンって、フランチャイズ制のはずですから、本部の人が定期的に巡回に来るはずなのに、こういうのを「注意」しないのでしょうか?
 それとも、「そのくらいは店主の裁量」なの?
 界隈にコンビニがこの1件、というような状況でなければ、個人的にはこういう店は避けたいところです。
 買いたいものを買って出るだけなら、別に気にする必要はないと言われれば、その通りなんですが。

 それにしても、この「女子中学生は立読自由」って張り紙は、たしかに強烈です。僕が女子中学生でこの古本屋に入り、この張り紙を見つけたら、絶対にダッシュで逃げます。
 「○○は禁止!」って言われるのは不快ですが、「××だけは自由」っていうほうが、はるかに不気味。
 この店主は、女子中学生が大好きだから「立読自由」なのか、それとも、ある種の「嫌がらせ」として、こんな張り紙をしているのか……
 しかも、これが「唯一の張り紙」だなんて。

 全国には、こういう「張り紙ショップ」が、少なからず存在していて、潰れずに営業しているのですから、人間って、多少の「異常」には、けっこうあっさり慣れちゃうものなのかもしれませんね。
 あの自転車屋も、最近は「今度は何が書いてあるんだろう?」って、ちょっと楽しみになってきましたから。