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2010年03月03日(水)
『燃えろ!! プロ野球』と「ジャレコの恐怖の夜」

DVD『THEゲームメーカー・ジャレコ編』(Happinet)付属の冊子の「Special Interview 菊地博人(元・株式会社ジャレコ 宣伝担当)」より。

(元ジャレコの宣伝担当だった菊地さんが、『燃えろ!! プロ野球』発売当時のことを振り返って)

【インタビュアー:『燃えろ!! プロ野球』は反響も売上も大きかった分、その後の対応も大変でした?

菊地博人:あー、そうですね。『燃えプロ』は売れましたけど、マイナスの意味でも印象深いです。バグ(不具合)がたくさんあり、クレームがものすごく多かったです。朝から電話が鳴りっぱなしの状態で、その頃は今で言うユーザーサポートの部署がなかったため、経理や総務等、全部署で電話対応をしました。最初のバグは「バッターの後ろを通るボールがストライクになる」というものでした。初めのうちは「それはホームベースの角を通っているのです」って苦しい言い訳をしたのですが、明らかに(バッターの)後ろを通っているだろ!と言われ…

インタビュアー:反論できませんよね(笑)。

菊地:「じゃあ、送ってください」ということで回収をしたのですが、それが日に日に増えていきました。送られてきたソフトのケースを全社員で割り、基盤を取り出しました。そこからROMを抜いて、修正したROMに差し替えて、チェックしてから送り返すという作業を行っていましたから大変でしたね。

インタビュアー:それで『燃えプロ』が出荷された時期によって、「赤カセット」や「黒カセット」という違いがあったのですね。

菊地:「ああ、ありました。よく覚えていらっしゃいますね(笑)。とにかく電話が鳴りっぱなしの状態でしたから。でもまだ昼間のうちはまだいいのですよ。お子さんからの電話なので「それはね……」で納得してもらえた人も中にはいたのですが、怖いのは夜ですよ、夜。お父さん方から電話を頂くわけです。お酒を飲んで掛けてくる方も多く、怒鳴られまくり。「お前のところのソフトさあ」って言われて、申し訳ありませんと謝り続けるという流れでした。それでも、なんとかお客さんに納得してもらえるような説明をするようにとの指示でした。結果、どうしてもダメだったときは、最終的に送り返してくださいという形になって。

インタビュアー:『燃えプロ』って『ファミスタ』よりもユーザーさんの年齢層が高かったと思うのですが、逆にアダになった?

菊地:アダになったというか、きちんとデバッグの期間を取っていれば防げたのではないかなと思いますね。「バッターの後ろを通ったボールの後は、どこに投げてもストライク」ってチェックすればわかる話じゃないかと思います。

インタビュアー:今でこそ携帯電話用ゲームで「バントホームラン」がウリになっていますけど、当時はシャレになりませんよね(笑)。

菊地:もちろん。雑誌社に持っていった時も評判が良くて『宝島』だったかな? ゲームの説明をしていたら、編集部の全員が「これはすごい!」と集まってきたわけです。それで我々も自信を持ったのですけど、そういう意味でもかなり残念なソフトにはなりましたね。でも、100万本以上売れました。】

参考リンク:『バントホームラン』(YouTubeの動画)

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 『燃えプロ』こと、『燃えろ!! プロ野球』がジャレコから発売されたのは、1987年6月26日のことでした。
 その半年前、1986年の12月にナムコから発売された『プロ野球ファミリースタジアム』は、選手に個性があり、球の動きもリアルでスピーディで、まさに「野球ゲームの革命児」だったのですが、そんな「ファミコン野球ゲーム熱」が高まっているなかで発売されたのが、この『燃えプロ』だったのです。
 発売前はファミコン雑誌でも軒並み高評価で、『ファミスタ』と比べると選手の体型がより人間に近く、選手のグラフィックがリアル(一部の選手は、モデルにかなり似せられていました)、テレビ中継を意識した画面構成など、かなり「面白そう」なソフトだったんですよね。
 発売後は軒並み売り切れとなり、なかなか買うことができなかった記憶があります。

 しかしながら、この『燃えプロ』、先発の『ファミスタ』に比べると、リアル志向のグラフィックは目立っていたものの、「野球ゲーム」としては、かなり問題が多かったのです。
 操作がやたらと難しく、普通の内野ゴロを一塁に送球しても、なぜか「ベースを踏んでいない」ことになってアウトにならないことがあるとか、ここで菊地さんも仰っている「バッターの後ろを通ったボールがストライク」、そして、いまやこのゲームの「伝説」になってしまった、「ホーナーのバントホームラン」!
 最初にこの「バントホームラン」を見たときには、「なんだこのゲーム……」と、唖然としてしまったのをよく覚えています。選手の「個性」を出そうとしたのでしょうが、あれじゃ「個性」どころか、人間の枠を超えてます。
 演出が多かったため、『ファミスタ』に比べて一試合の時間がかかることもあり、僕はすぐに『ファミスタ』に戻ってしまいました。
 そして、期待との落差があまりに大きかった(+ものすごく売れた)ために、『燃えプロ』は、『たけしの挑戦状』と並ぶ、「有名なクソゲー」になってしまったのです。

 この菊地さんの話を読んでいると、「ホームベースの角を通っている」と言い逃れようとするなんて、あの頃は牧歌的な時代だったんだなあ、と微笑ましくなってしまうのですが、思い返してみると、僕たちもこのゲームのバグの多さには、かなり腹を立てていたんですよね。交換してくれるなんて、全然知らなかった(多少改善されても、そんなに変わらないかな、とも思いますが)。
 その一方で、「酔っ払いに絡まれたり怒鳴られたりして、夜が来るのが怖かった」なんて話を読むと、いくらクソゲーをたくさん売りさばいてしまった会社だとしても、現場のスタッフには、やっぱり同情してしまうんですけど。
 ちなみに、あの『たけしの挑戦状』の攻略本をつくっていた担当者は、「攻略本を見てもクリアできない!」という電話が昼夜問わずにかかってきて疲れ果ててしまい、ついには問い合わせの電話に「担当者は死にました」と答えていたそうです。

 しかし、あれから二十数年経った今となっては、『燃えプロ』の「バントホームラン」が僕たちの世代(30代後半〜40代)の「共有体験」になっているのですから、ゲームっていうのは、何が「幸い」するのかわからないものですね。