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2009年03月23日(月)
「ブタもおだてりゃ木にのぼる」という言葉を作った男

『僕たちの好きなタイムボカンシリーズ(別冊宝島779)』(宝島社)より。

(タツノコプロ草創期から演出家として『タイムボカン』シリーズをはじめとする、数々のアニメ作品を世に送りだしてきた笹川ひろし監督へのインタビューの一部です。文は小林保さん)

【1975年10月、これまでにないSFとコテコテのギャグが融合したアニメ作品『タイムボカン』のテレビ放映がスタートした。後にシリーズ化され、1983年の『イタダキマン』まで7作品が作られることとなる、その礎がここに誕生したわけだ。
 しかし、『タイムボカン』が世に出るまでには3年ものお蔵入り期間があった。タイムトラベルをテーマにしたギャグ物というコンセプトがスポンサーに理解されにくかったためだ。

笹川ひろし:別にどこかから依頼されたわけでもなかったんですよ。タイムトラベル物で、しかもギャグ物を作ろうとタツノコプロ内で企画しましてね。タイトルも『タイムボカン』ではなく『タンマー大作戦』だったんです。ちょうど、その頃からテレビでもコンピュータ映像が使えるようになって、この作品ではスキャニメイトっていう文字や画面がグニャグニャって変型して他の図形になる技術を取り入れようということになりましてね。それで、15分ぐらいのパイロットフィルムを作ったんです。ところが、なかなか売れなくてね、これが(笑)。何かシリアス物みたいな印象を与えるようなんですよ。真面目なタイムマシン物と思われる方が多かったようでね。「なんだ、これは?」っていう戸惑いがあったと見えて、実際、15分程度のパイロットフィルムでは、とても説明しきれないんですよ。

 結果『タイムボカン』の前身である『タンマー大作戦』は3年もの間、フィルム倉庫の片隅でホコリを被ることになる。普通、何年もお蔵入りしてしまった企画が日の目を見る機会など、そうあるわけではない。ところが、この企画に目を付けた企業が現れる、玩具メーカーのタカトクトイズだ。

(中略)

 1シリーズにつき4〜5人の演出家がローテーションで作品を担当しているが、脚本から絵コンテに至るまで作品のすべてをチェックするのが総監督である笹川さんの仕事だった。作品中のギャグは会議で決定するものもあったが、チェックの段階で笹川さんが盛り込んだものも、かなりの数にのぼった。

笹川:いろんな方がシナリオや絵コンテを描いていますから、ひとつの作品としての統一感を出すために僕がチェックするんですね。その最中にアイデアが閃くこともあるわけですよ。それをコンテに描き足したり。そうすると必要のないカットが出てきてしまう。放送時間は決まってますからね。で、いらない所を外して思いつきのギャグを差し込んだりしてました。だから、矛盾していますがシナリオどおりの絵コンテが出来てくると、まずNGなんです。「シナリオでは、こうなってるじゃないですか」と言われると「このアニメは、ちょっと違うんです」って説明してね(笑)。演出家にしても他の人が面白いことをやったとなれば、自分はもっとやってやろうとなる。演出家の競争意識が相乗効果を生んで、作品を面白くした部分は大きいでしょうね」

 ところが、その競争意識が思わぬ過剰な演出へとエスカレートしていく。爆破のあとでドロンジョが裸になるシーンが、それである。

笹川:演出家を抑えようとすると今度はアニメーターがエスカレートする。もう何コマぐらいはいいんじゃないのってことで、露出度が増していくんですよ。チラッとドロンジョの胸が見えてしまったりして、これは気をつけなければいけないと思ったことが何度もありました。でも、そう言ってる自分もやってるんですよね(笑)。

 流行語にもなった「ブタもおだてりゃ木にのぼる」。ご存知、『ヤッターマン』中の大ヒットギャグである。木に登っていく「おだてブタ」。そして、この名文句の生みの親は総監督の笹川さんだった。

笹川:もともとは小ネタのひとつだったんですけど、何だか反響が大きかったですねぇ。よく、「あなたが、この言葉を作ったんですか?」と質問されるんですが、そうじゃないんです。福島県に住んでいた子どもの頃、どこかで耳にした言葉なんですよ。だから、福島出身の人は「自分も聞いたことがある」と言う方が多いですね。人間って面白いもので、けなされるより誉められた方が伸びるんですよ。教訓ってわけじゃないんですが、好きな言葉として僕の頭の中に残っていた。それを具現化したものなんです。でも、面白い話があってね。以前、金田一春彦先生が『笑っていいとも』という番組のなかで、この言葉はあるアニメプロダクションが作ったものだと説明されていたんですよ。そんなぁ、おかしいなぁと思ってね(笑)】

〜〜〜〜〜〜〜

 『タイムボカン』シリーズがこれだけの「歴史的ヒット作」になってみると、3年間も「お蔵入り」だったことが疑問に思えます。
 でも、ここで笹川さんが仰っておられるように、この作品の魅力をスポンサーに伝えるのは、なかなか難しかったのではないでしょうか。
 「真面目なタイムマシン物」だと思う人が多かった、ということなのですが、笹川さんによると、放送開始から5話目くらいまでは、視聴率も上がらず、「もっと真面目にやったほうがいいんじゃないの」なんて周囲から言われたこともあったそうです。
 このインタビューを読んでいると、『ヤッターマン』の世界は、数多くの演出家やアニメーターが切磋琢磨してつくられていたのだ、ということがよくわかります。そして、製作側にとっても、この作品の「自由度」は、すごく魅力的なものだったのでしょう。放送時小学生だった僕は、「ドロンジョさまの露出」がエスカレートしていくことに驚いていたのですが、その陰にはこんな「競争意識」が働いていたんですね。

 現在公開されている映画の『ヤッターマン』を観ながら考えていたのですが、いまの世の中では、ボヤッキーの「全国の女性高生のみなさ〜ん」とか、原爆の「キノコ雲」を思い起こさせるドロンボ―メカの爆発シーンでの「ドクロ雲」とか、ヘタすれば「おしおき」という言葉だって、「子供にふさわしくない」と弾劾されてもおかしくないですよね。
 幸いなことに、リメイク作品でも、あまりそういう「規制」はなされていないようなのですけど。
 
 それにしても、あの「ブタもおだてりゃ木にのぼる」という言葉、僕もすっかり『ヤッターマン』から生まれたのだと思いこんでいたのですが、笹川さんによると、「福島県(の一部?)でもともと使われていた言い回しなんですね。
 あの金田一先生も『ヤッターマン』を視ておられたのかもしれませんが、テレビで有名な学者が言っているからといって、鵜呑みにしないほうがいいんだなあ、と考えさせられました。
 笹川さんか『ヤッターマン』のスタッフに一言確認すれば済む話のはずなのに。
 結局のところ、最初に作ったのが誰にせよ、あの言葉がこれほど世に広まったのは、やはり、「おだてブタ」のキャラクターと登場するタイミング、声優さんの力のおかげなので、実質的には「あるアニメプロダクションがつくったようなもの」なのかもしれませんが。