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2009年03月16日(月)
絵本『ぐりとぐら』ができるまで。

『ダ・ヴィンチ』2008年6月号(メディアファクトリー)の記事「『ぐりとぐら』ができるまで。〜中川李枝子と山脇百合子の物語〜」(取材・文:岡田芳枝)より

(『ぐりとぐら』は、文章を中川李枝子さん、絵を山脇(大村)百合子さんが担当されているのですが、お二人は血がつながった姉妹。中川さんは1935年生まれ、山脇さんは1941年生まれ。お二人は『いやいやえん』でデビューされたのですが、デビュー当時中川さんは「みどり保育園」で保育士として働きながら同人誌グループに参加、山脇さんは高校生だったそうです)

【その後、李枝子さんは月刊雑誌『母の友』(福音館書店刊)に『たまご』という作品を掲載し、再び挿絵を百合子さんが担当。その作品を読んだ福音館書店の松居編集長より「これを絵本にしませんか?」と声がかかる。そうして出来上がった絵本が『ぐりとぐら』だ。

中川李枝子:『たまご』も『ぐりとぐら』もね、みどり保育園のみんなのために書いたお話だったんです。みどり保育園の子どもたちは『ちびくろさんぼ』がだーい好きだったの。遊びの時間は全部ちびくろさんぼゴッコになっちゃうくらいにね。で、ある日、園長先生が、家から材料を持ってきてホットケーキをつくってくださったら、子どもたちは大喜び! まず先生が焼いてくれたことが嬉しいでしょ、そしてそれをみんなで食べるってことがなにより嬉しい。嬉しかったから、お家に帰ってお母さんたちにも話をして、そうしているうちに、分厚くてとっても大きい、立派なホットケーキを食べたことになっているのよね。本当は貧弱なホットケーキだったのに(笑)。それをきいて、みんなに大盤振舞したいなって思ったの。それで、ちびくろさんぼの向こうを張って、大きなカステラにしたんです。だって、カステラのほうが材料がいいし、高いでしょ(笑)。あと、大きな大きなカステラにしたかったから、主人公は小ちゃい野ねずみにした……というわけなんです。
 ぐりとぐらという名前は、フランスの絵本に登場する歌から思いつきました。黒猫と白猫がいろんな冒険をするお話で、そのなかに、グリ、グル、グラ……って歌を歌うシーンがあるんです。保育園でその絵本を基にした紙芝居をすると、そこでみんながとても盛り上がるのよね。それで、ぐりとぐら。

 一方、当時、上智大学の3年生だった百合子さんは、絵本にするにあたって新たに絵を描き下ろすことに。

山脇百合子:まず最初に、上野にある科学博物館で、今泉先生という方にねずみの標本をたくさん見せていただいたのだけれど、そのなかにオレンジ色のねずみがいて。ああ、このねずみがいいなあと思って、それを描くことにしました。洋服は、『たまご』の挿絵を描くときに「二本足で立っていて洋服を着ているねずみにしてもいい?」と姉に聞いたんです。絵はね、お話が面白かったから、描きやすかったですよ。

 トンガリ帽子のような赤い屋根の家のなかには、あたたかそうな暖炉にたくさんのハーブや植木。そして、森や海にはたくさんの動物たちとの出会いや発見……。おふたりがこうして『ぐりとぐら』を生み出して、今年で45年。日常を楽しく面白く工夫して暮らす二匹の世界は、まったく古びることなく、いまも絵本のスタンダードとして世界中で愛され続けている。

山脇:お話が単純明快だから……っていうと失礼よね(笑)。練りに練った末の単純明快だから、いいんじゃないかしら。

中川:そうなの。単純明快を一生懸命つくるのよ。きっと、たくさんいい作品を読んできたから良かったんじゃないかと思うの。石井桃子さんがね、「書くということは、教わるものではなく、本をたくさん読んで、そこから自分で掴み取るものなんですよ」とおっしゃっていたんですけれど、私は岩波少年文庫のおかげで、それを掴みとれたんじゃないかなと思います。あとね、教訓を込めてはいけないの。本で何かを教えようなんてしてはいけないと、私は思うの。楽しめれば、それでいいのよ。

山脇:でも、読む人によってはわからないわよ。「やっぱり大掃除はしなくちゃいけないというメッセージが行間に溢れている」なんて思う人がいるかもしれないもの(笑)。そのときは……仕方がないわよね。その人がそう感じたんだから(笑)」

中川:そうよ。読む人の自由ですもの。

――そう言って笑い合う李枝子さんと百合子さんに、最後の質問をしてみた。「ぐりとぐらは、いったい何歳なのでしょう?」すると、こんな返事が返ってきた。

山脇:この人たちは、立派な自立した大人なのよ、ね?

中川:そうねえ、なんでも自分たちのことは自分でできるものね。

山脇:ええ。じゃなきゃ、お掃除もこんなに上手にできないし、お料理だって、もっと下手っぴじゃないかしら(笑)?】

参考リンク:30年ぶりの『ぐりとぐら』(琥珀色の戯言)

〜〜〜〜〜〜〜

 子供ができて、僕も「絵本」を手に取るようになりました。
 30年くらい、「絵本売場」には寄りついたこともなかったのだけれど、「これは自分の子供に読んでもらいたい本だろうか?」という視点で絵本に接するというのは、すごく新鮮な体験です。

 この『ぐりとぐら』は、子供のころ僕が大好きだった絵本。家に置いてあったので妻に尋ねると、「友達がお土産に持ってきてくれた」とのことでした。「まだあったんだなあ」と懐かしく思いながらページをめくっていると、けっこう字が多いことと、最後の「卵の殻」の利用法の意外性にあらためて驚かされました。

 『ぐりとぐら』は、1963年に「こどものとも」誌上で発表されて以来、日本だけでなく世界各国で愛され続けるふたごの野ネズミ「ぐり」と「ぐら」のお話。
 
ぼくらの なまえは ぐりと ぐら

このよで いちばん すきなのは

おりょうりすること たべること

ぐり ぐら ぐり ぐら


 この「ぐり ぐら ぐり ぐら」のところ、読んでいるほうもけっこう楽しくなってくるんですよね。まだよくわからない顔をしている息子そっちのけで、延々と「ぐり ぐら ぐり ぐら」と続けてしまいそうなくらいに。

 この『ダ・ヴィンチ』のインタビューを読んで、僕は『ぐりとぐら』の2人の作者が姉妹であることと、中川さんが実際に保育園で働き、子供たちと接した経験から、この物語をつくりあげたことを知りました。

 1960年代前半の日本での「ホットケーキ」は、子供たちにとって、「すごい御馳走」だったと想像できますし、中川さんが「それなら、もっと豪華に『大きなカステラ』を!」と考えたのもよくわかります。
 僕がこの絵本を読んだ1970年代の半ばでも、「カステラ」というのは、「長崎に行った人がお土産に買ってきてくれたのを年に1回口にできるかどうか」だったという記憶があります。『ぐりとぐら』の大きなカステラは、本当に美味しそうで、それを「けちじゃないよ」と森の仲間たちに惜しげもなく分け与えるのを読んで、「僕もその場にいたかった……」とつくづく思ったんだよなあ。

 いまの子供たちにとっては、「カステラ」はあまり珍しいものではないし、「ごちそう」ではないのかもしれませんが、この絵本はいまでも売れ続けていますから、「あのカステラ」は、いまの子供たちにとっても、まだまだ魅力があるのでしょうね。

 このインタビューのなかで僕がもっとも印象に残ったのは、中川さんの
【教訓を込めてはいけないの。本で何かを教えようなんてしてはいけないと、私は思うの。楽しめれば、それでいいのよ。】
という言葉でした。
 「親としての目線」でみると、どうしても「教訓を与える本」「勉強になる本」みたいなのを読ませたいという衝動に駆られるのだけれど(そして、そういう「押し付けがましい絵本」って、たくさんあるんです)、子供はそういう本をちゃんと見分けて、拒絶反応を示します。
 そういえば、僕もそういう「親にとって都合が良い本」は、あんまり好きになれなかった。
 面白いとか、美味しそうとか、楽しそうとか、カッコいいとか、気持ち悪いけど心に引っかかるとか、そういう絵本が、僕の友達だったのです。

 その一方で、山脇さんが仰っておられるように、
【でも、読む人によってはわからないわよ。「やっぱり大掃除はしなくちゃいけないというメッセージが行間に溢れている」なんて思う人がいるかもしれないもの(笑)。そのときは……仕方がないわよね。その人がそう感じたんだから(笑)」】

というのもまたひとつの「読みかた」なんですよね。
読者っていうのは、けっこう勝手な読みかたをして楽しむものだし、それができる作品のほうが「広がり」があるのではないかと思います。
子供は子供で、自分なりの「読みかた」をしているのです。

 最後にお二人は、ぐりとぐらが「自立した大人であることの理由」として、「なんでも自分たちのことは自分でできるものね」と語っておられます。掃除や料理といった「日常」を自分でこなし、それを楽しめるのが「大人」。
 これ、家事が苦手な僕にとっては、すごく耳の痛い話ではあるんですけどね。