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2008年11月11日(火)
「どん底」からはじまった、シャープの携帯電話

『オンリーワンは創意である』(町田勝彦著・文春新書)より。

(液晶テレビAQUOSをトップブランドに押し上げ、「液晶のシャープ」を確立させた現シャープ会長・町田勝彦さんの著書の一部です)

【シャープは携帯電話市場に最後発で参入した。
 1996年から1997年にかけて、シャープはPHSという簡易型携帯電話で30パーセントを超えるシェアを占めていた。しかし、携帯電話の需要が急増し、PHSの市場が一気に縮小する。このまま何も手を打たなければ、通信事業が成り立たなくなることは目に見えており、PHSがいずれ厳しい状況に追い込まれることは明らかだった。残された選択肢はただひとつ、携帯電話市場に打って出ることだった。
 1998年、私は、情報システム事業本部(奈良県大和郡山市)でファクシミリの開発責任者をしていた松本雅史(現・代表取締役副社長)を、広島県東広島市の通信システム事業本部に送り込んだ。
「なんとか携帯電話事業を成功させてもらいたい。君にまかせた」
 ところがある日、転勤したばかりの松本から泣きの電話が入った。
「社長、こちらの状況は想像以上に悪いです。業績がどん底なので、職場の雰囲気は最低です。この状態で携帯電話の事業をスタートさせるのは、正直申し上げてかなり厳しい」
 最後発での参入は、それなりの覚悟があってのことだ。だから私も必死だった。
「状況はよくわかった。とにかく、他社にはない、特長ある商品をつくってくれ。そうでなければ、われわれに勝ち目はない。なんとか頑張ってくれ」
 松本は必死になって考えたに違いない。後日、アイデアを提案してきた。
「うちには、液晶という他社にはない最先端のキーデバイスがあります。原点に戻りましょう。これを利用しない手はありません。世界初のカラー液晶搭載の携帯をつくるんです」
 情報処理技術の進化でメールの送受信ができるようになり、携帯電話は単なる音声伝達の手段から、総合的なコミュニケーションツールへと劇的に変化していた。同時に、要求される機能も多様化した。クリアな音声に加え、メールの使い勝手も大きなポイントになった。しかし従来の携帯電話の液晶画面は、暗くて文字が読みづらいものばかりだった。そこにシャープが入り込む余地があると、松本は力説した。
 文字を表示する液晶は、シャープが最も得意とする分野だ。そこで、IC事業本部(広島県福山市)の技術者を東広島に派遣すると、彼らは簡単に256色のカラー液晶用LSIを開発した。
 文字に関しては、情報システム事業本部の技術者が担当した。読みやすいフォントを使った表示方法や、漢字変換・辞書機能の言語処理ソフトは、日本語ワープロ「書院」や、携帯情報端末の「ザウルス」、電子手帳などで鍛えられていた、お手のものである。
 携帯電話用カラー液晶の開発は、これまでシャープが蓄積してきた技術の集大成であり、あえて、「緊プロ(緊急プロジェクトチーム)」にするまえもなかった。
 世界初となる、カラー液晶を搭載した当社携帯電話は、1999年の年末、J-PHONE(現・ソフトバンクモバイル)よりデビューした。文字の見やすさが評判になり、その後、携帯電話の液晶表示は一斉にカラー化することになる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 その後、シャープは「カメラ付き携帯電話」の第一号を発売し、2005年にはシャープの「SHシリーズ」は、販売台数シェアでトップに立っています。当時は日本中が大不況で、シャープも厳しい状況にあったそうなのですが、この携帯電話の大ヒットでリストラも回避でき、シャープは「一息つくことができた」のです。町田さんは、【厳しい状況に置かれた会社が
、「SHシリーズ」に救われたといっても過言ではない。私にとって、救世主というほかない。】とまで仰っておられます。

まだ10年前のことなのに、シャープの携帯電話の現在のシェアから考えると、こんなふうに最後発からのスタートだったというのは信じがたいくらいなのですが、たしかに、普及しはじめたころの携帯電話というのは、白黒液晶で、通話機能と「ショートメール」というごく短い文章が送れる程度の機械でした。
 それが、この10年間に、前述のさまざまな機能に加えて、カメラに音楽プレイヤーにインターネットに動画再生、おまけにワンセグによるテレビ視聴と、あの小さな機械のなかに、さまざまな技術が詰め込まれていったわけです。
 あらためてこの10年の携帯電話の歴史を思い返すと、やっぱり技術というのは「進化」していくものなのだなあ、と感嘆せずにはいられません。
 この町田会長の話では、シャープの携帯電話開発には、これまでの液晶やワープロ、電子手帳の技術が活かされた、ということです。
 携帯電話というのは、ひとつの技術だけで完成するものではなく、さまざまな家電やコンピューター開発のエッセンスが集約された機械なんですよね。ワンセグから漢字変換・辞書機能まで。
 
 いまとなってみれば、「シャープというメーカーの特性に向いていた機械」であったように思われる「携帯電話」なのですが、AQUOSケータイができるまでには、こんな歴史があったのです。

 いや、僕も「電話をわざわざカラー液晶にする必要があるの?」とか思っていたのですけどね、あの頃は。