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2008年05月04日(日)
「このひとは、『とりえ』がないというけど、べつに『とりえ』なんかなくていいんです」

『それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい』(村上龍著・幻冬舎)より。

(村上龍さんが、20代〜30代の女性からのさまざまな質問に答えたものを集めた本の一部です)

親が唯一の財産である実家を売り払ってしまい不安な毎日です

Q:何のとりえもないけど、親の資産でどうにかなるだろうと思っていました。何年かたてば、世田谷の土地はすごいお金になったはずなのに……。(31歳・フリーター)

(以下、村上さんの「答え」です)

 すごいお金になるというのは、どういうことなんでしょうか。これからインフレになるのでバブルのときのように土地の値段が上がる、みたいなことをイメージしているのかな。それで、両親は確実に土地を相続させると約束していたんでしょうか。よくわからないけど、なんでそう自分の都合のいいように解釈できるんだろう。とりあえずいまは自分の家でもないのに。
 自分にはこれがあるから将来もなんとかなりそうだ、という人生の支えが何もなくて、それが暗黙のうちに両親の家になってしまったのだとしたら、それはすごく危険です。世田谷だろうが銀座だろうが、実家が生きる支えになってしまっているというのは、こういう厳しいご時世だから理解できないこともないけど、リスクが大きいと思います。そういった不確実な希望からは早く脱却しないと。そのことに気がつく機会になるなら、両親が早めに家を売って、案外よかったかもしれません。
 このひとは、とりえがないというけど、べつにとりえなんかなくていいんです。
 たとえば、「私は何のとりえもない医者です」というような人のことを考えてみてほしいんですが、要するに医師免許をとりえとは言わないんですよね。でも食いっぱぐれはないわけです。「何のとりえもないけど中国語とフランス語ができます」ということだったら人生は有利になるということです。
 逆に、よく聞く言葉ですが、「マジメなだけがとりえです」「明るいのだけがとりえです」というのはどうでしょう。こういうことを職務経歴書に書いても、面接でしゃべってもあまり効果は期待できないでしょう。
 必要なのはとりえではなく生きるための技術、スキル、知識だというミもフタもない社会になりつつあります。家に固執するくらいだから、不動産に興味があるのでしょうか。死んだ子の年を数えるように、自分のものでなくなった家の資産価値なんかをぼーっと考えてないで、不動産や建築関係の資格でもとってみたらどうでしょうか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 村上龍さんらしいというか、まさに「ミもフタもない答え」ですよね。でも、これはたぶん「正論」なのでしょう。
 この人の実家のことは僕には関係ないのでどうでもいいのですが、ここで村上さんがされている「とりえ」の話には、本当に考えさせられました。
 僕はよく自分のことを「何のとりえもない人間」だと思って落ち込んでしまうのですが、村上さんは、この答えのなかで、「必要なのは『とりえ』ではない」と断言されています。

 「いまの世の中を生き抜いていくのに必要なのは、性格や人間性における『とりえ』ではなくて、もっと形のある資格や技術だ、というのが、村上さんの「答え」なのです。
 いや、もちろん「マジメである」とか「明るい」なんていうのは、人間としての大きな美質であり、人付き合いの上ではとても有用なものだと僕も思います。
 でも、そういう『とりえ』っていうのは、逆に「マジメだから仕事で結果を出せなくてもいいや」とか「明るいから失敗しても許してね」みたいな「言い訳」に使われがちなのも事実なんですよね。

 「マジメ」なのだったら、コツコツと勉強して何か武器になる資格を取ればいいし、「明るい」のであれば、営業で結果を出せばいいのですが、実際にそれができる人というのは、ごく少数なのです。
(偉そうに言っているけど、僕も「多数派」です)

 この村上さんの答えは、「自分は何の『とりえ』もないからモテない」というのは単にサボりたい人間の言い訳で、いまの世の中では、性格的な『とりえ』なんかよりも、資格やスキルのほうが、よっぽど「生き抜くために必要なもの」(あるいは、「モテるための武器」)になるのだ、ということなのでしょう。
 『とりえ』なんていう曖昧なものにコンプレックスを抱くヒマがあったら、もっと自分の周りの現実を変えるために、具体的に働きかけるべきなのです。
 人間みんな、なんらかの『とりえ』は持っているわけで、だからこそ、「そんなものは武器にならない」ということなのかもしれません。

 考えようによっては、『とりえ』は先天的資質、あるいは幼少時からの積み重ねの要素が大きいだけれど、『スキル』や『資格』は、大人になってからでも得ることが可能ですしね。