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2008年03月11日(火)
「かわいそうな猿と幸せになった人間」の話

『むかしのはなし』(三浦しをん著・幻冬舎文庫)より。

(「むかしばなし」をモチーフとした連作小説集なのですが、そのモチーフのひとつとして紹介されている『猿婿入り』という話)

【ある百姓が日照りで苦しんでいると、猿が雨を降らせた。その礼として、三人いる娘のうちの末娘が、猿のところへ嫁入りした。
 ある日、里帰りすることになった娘は、父へのみやげにと猿に餅をつかせた。娘は、餅の入った臼を猿に背負わせた。里帰りの途中、川沿いに美しい桜が咲いていた。娘は猿に、「きれいなので父にも見せてあげたい」と言った。「じゃあ俺が取ってこよう」。猿は娘のために、臼を背負ったまま桜の木に登った。細い枝が臼の重みで折れ、猿は川に落ちた。流されながら猿は、「自分の命は惜しくはないが、あとできみが泣くかと思うと哀しい」と歌を詠んだ。娘は、流されていく猿をじっと見ていた。それから一人で実家に戻り、幸せに暮らした。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この話を読んで、僕は正直、どういう感想を持てばいいのか、よくわからなかったんですよね。
 「むかしばなし」には、「正直者や心優しい人間が最後には得をする」というような「人生訓」的なものや、『かぐや姫』のような「異世界ファンタジーもの」などがありますが、この『猿婿入り』というのは、僕にとっては、「ただひたすら後味が悪い話」にしか思えなくて。
 なぜこんな「むかしばなし」が語り継がれてきたのだろう?と、ものすごく疑問に感じました。昔の人は、この話を読んで「やった!ザマミロ猿!」とか快哉を叫んでいたのでしょうか?

 これはもしかして、みうらさんが作った話じゃないのか、などとも考えてネットで検索してみたりもしたのですけど、これは確かに「日本のむかしばなし」のひとつであり、しかも、いくつかあるこの話のバリエーションのなかには、「娘は意図的に猿を川に落として葬り去った」と露骨に書かれているものも多かったのです。

 いや、雨を降らせたから娘を嫁に、なんていう発想そのものが間違っているのだから、こんな猿は水死して当然だろ、と考える人もいるのかもしれませんが、少なくともこの物語で描かれている事実からすると、猿は「嫁や舅思いの良い婿」ですよね。「猿なんかと」結婚させられたのは可哀想だとしても、この猿だって、雨を降らせてあげた挙句にこんな理不尽な死にかたをさせられるほどの悪党じゃなさそうです。
 にもかかわらず、エンディングは、さらりと「一人で実家に戻り、幸せに暮らした」ですからねえ……
 この猿よりもロクでもない人間の男、たくさんいそうなのに。

 『本当は恐ろしいグリム童話』なんて本もありましたが、この話を読んでみると、日本の「むかしばなし」もけっこう残酷なものですし(そういえば、『浦島太郎』で、「玉手箱」ねんていう呪われたアイテムがお土産として渡されたのも理不尽な話ではありますよね)、人間っていうのは身勝手なものだなあ、というようなことを考えずにはいられません。
 でも、この「理不尽なむかしばなし」が現在まで伝えられているのも、やはり、それなりに聞いた人の心を動かすところがあったからなのでしょうね。さまざまなサイトでの分析を読んだところ「知恵の力で苦難を乗りこえる人間のすごさを描いている」なんて書かれているのですが、この例はどちらかというと、「すごい」というより「酷い」ような……

 ただ、この物語が「猿より人間のほうが怖い」というのを伝えていることだけは間違いなさそうです。