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2008年02月21日(木)
桜庭一樹さんに直木賞をもたらした、角川スニーカー文庫の編集者の言葉

『週刊文春』(文藝春秋)2008/2/21号の「阿川佐和子のこの人に会いたい・第717回」より。

(『私の男』で、第138回直木賞を受賞された作家・桜庭一樹さんと阿川さんの対談の一部です)

【阿川佐和子:こうすりゃ売れるだろうって気がついたことはありますか。

桜庭一樹:読者を考えながら書かなくちゃいけないんだなと思いました。

阿川:何がきっかけで?

桜庭:中村うさぎ先生に「こういうものはこの人にしか書けない」と言われたような一冊を書こうと思って、『赤×ピンク』を出したんです。出だしから泥レスをしている女の子が転がり出てくるようなインパクトがある小説なんですけど。

阿川:確かにインパクトありそう。

桜庭:そうしたら、角川のスニーカー文庫の編集さんに言われたんです。「極端なストーリーでも書きっぱなしにせずに読者が共感できるようにわかりやすくしなくちゃ。読者の70%が自分のことを言われているような話だと思い、20%は自分にもこんな面があるなと思い、あとの10%は、何だ、この本はと思う作り方をするとたくさんの人に読まれるよ」って。

阿川:へえ。参考にしよ。

桜庭:「コップでも把手があれば持ちやすいだろう。君はその持ち手の部分を小説につくるべきだ。それがあれば、いい面はあるから、もっと読まれる作家になれるはずだ」って。

阿川:名言ですねえ。

桜庭:直木賞を受賞したとき、本人にあの言葉のお陰ですって言ったら、全然憶えてなかったんですけど(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 もちろん、「読者の100%に、何だ、この本はと思われるような作品」では、「と学会」のような一部のマニアたちを除いては、誰も読んでくれないとは思うのですが、逆に「読者の100%が自分のことを言われているような話だと思う」ようなものも、「オリジナリティが無い」なんて批判されて、かえって「売れない」ということなのでしょうね。

 僕の感覚では、これだとちょっと「読者に歩み寄りすぎて」いて、むしろ、ここで挙げられている個々の数字とは正反対の「読者の10%が自分のことを言われているような話だと思い、20%は自分にもこんな面があるなと思い、あとの70%は、何だ、この本はと思う作り方」のほうが、結果的には「売れる」ような気がするのですけど。

 桜庭さんの直木賞受賞作『私の男』は、まさに「70%の人には唖然とされる本」ですし(もちろん、読んでみると確かに「自分にもこういう一面があるなあ、と考えずにはいられない作品でもあるのですが)。

 ただ、いわゆる「ライトノベル」の世界では、読者層が若いこともあり、このくらいが「売れる匙加減」なのかもしれません。僕だって中高生くらいのときは、「主人公に感情移入できない話」は、それだけで読む気になれなかった記憶がありますし。

 そして、確かに「売れる本」には、「把手」があることが多いですよね。
 『チーム・バチスタの栄光』というミステリは、映画化もされて大ヒットしていますが、この本の把手の部分は、「愚痴外来(不定愁訴外来)をやっている、うだつのあがらない大学講師の田口医師」にあたりそうです。この人そのものは、いわゆる「狂言回し」的な役割で、鋭い推理をみせるわけでも、派手なアクションで作品を盛り上げるわけでもないのですが、もし、この「普通の人の感覚に近い」キャラクター抜きで、「スーパードクターたちと頭はいいけど性格に問題がある厚生省の役人の物語」として、『チーム・バチスタの栄光』が語られていたら、たぶん、多くの読者は「置いてけぼり」にされてしまったはずです。
 作者が、どこまで意図的にそういう設定にしたのかはわかりませんが、採り上げる題材が特殊な世界であればあるほど、「把手」ってすごく大事なんですよね。
 それが無いばっかりに、美味しそうのに持てなくて飲めない、と思われた作品って、けっして少なくないはず。

 それにしても、この話を桜庭さんにした編集者もたいしたものではありますが、そのオーダーに過不足無く答えることができた桜庭さんの「筆力」の凄さにも驚かされる話です。
 これを「意識すること」と、そういう作品を「形にすること」には、本当に大きな「超えられない壁」があるはずだから。