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2007年10月25日(木)
「駅から徒歩60分の住宅地を売る」ための、2つの広告コピー

『広告コピーってこう書くんだ!読本』(谷山雅計著・宣伝会議)より。

(新潮文庫の「Yonda?」や「日テレ営業中」などの名コピーの生みの親、コピーライターの谷山雅計さんが「広告コピーを書くための技術」を詳説された本の一部です)

【コピーというのは、基本的には人を納得させるための表現です。けれども、それにもかかわらず、世の中のコピーには、単にカタチだけの納得に終わっているコピーと、ホントウの納得につながっているコピーの2種類があると思うんです。
 まだぼくが新人の頃、博報堂のクリエイティブ研修で、「駅から徒歩60分の住宅地を売るコピー」という課題を出されたことがありました。
 歩けば2時間かかる距離で駅が2つある。そのちょうど真ん中、つまりどちらの駅から歩いても60分かかる場所にある住宅地を売るのは、どういうコピーがいいのか、という話です。
 そのとき、そこで「たとえばこういうコピーが、いいコピーです」という例が2つあげられていました。
 ひとつは、「よく来たな。実感、いい友。」みたいなコピー。つまり、「こういうところまで来てくれるのが、本当の友だちだ」というニュアンスのもの。
 でも、それが「いい例だ」と言われても、ぼくはいまひとつ納得できなかった。
 たしかに駅から徒歩60分もかかるところにわざわざ足を運んでくれるのは、いい友だちです。それはウソではないでしょう。しかし、そのことを確認するために、誰が真実の友かと見きわめるために、住宅地を買おうと思うことはありえないでしょう。
 ”友だち”を語る言葉としては納得できるのですが、住宅地を売るためのコピーとしては「?」ではないかと、感じたわけです。
 そしてもうひとつの”いいコピー例”は、「駅から徒歩60分の場所に、駅ができないわけはありません」というものでした。
 たしかに駅から徒歩15分のところなら、少しぐらい人が増えようとも、わざわざ新しい駅をつくろうとは思わないかもしれません。けれど、60分もかかるところに人が集まりはじめたら、鉄道会社も駅をつくろうとするでしょう、という視点。
 これも無理があるといえば、無理があるコピーです。まだあるわけではない駅を想定して、モノを売ろうとしているわけですから。
 でもぼくは、このコピーの視点は、「家を買おう、宅地を買おう」という気持ちにつながっていると感じました。
 言ってみれば、ひとつめのコピーは、カタチのうえで納得しているように書いているだけだと思います。「宅地を買おう」という実際の動機づけにはなっていないわけですから。
 それに対して、2つめは、ちょっと論理の飛躍があったとしても、ホントウの意味でも納得をうながしています。
 コピーライターに求められるのは、もちろん、ひとつめではなく、2つめのコピーだとぼくは思います。
 ただ、このことは実際の広告の世界でも、ちょっとあいまいになっていて、両方が同じように評価されてしまっていることもあります。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この「駅から徒歩60分の住宅地を売るためのコピー」の話は、僕にとっては非常に印象深いものでした。
 僕はコピーライターではありませんが、もし同じような課題を与えられたら、おそらく前者の「よく来たな。実感、いい友。」みたいなコピーを書こうとしていたと思います。もちろん、こんなにシンプルにうまく書けはしないでしょうが、それでも、こういう傾向のもの、誰かに「上手いね」って言ってもらえそうなものを書こうとしたはずです。
 「駅から徒歩60分の場所に、駅ができないわけはありません」というコピーって、前者に比べたら、たしかに一捻りしてあって、面白い発想だな、とは思いますが、なんとなく言葉のインパクトや「面白さ」が足りないような気がしますし。
 
 でも、人気コピーライターとして活躍されている谷川さんのそれぞれのコピーについての解説を読んで、僕は「なるほどなあ」と感心すると同時に、ちょっと恥ずかしくなったりもしたのです。
「ああ、僕はいつも、凝った言い回しやインパクトのある表現で、自分のことをアピールしようとするばかりで、伝えるべき相手の顔が見えていなかったのだなあ」と。
 「よく来たな。実感、いい友。」というコピーを見せられたら、多くの人は、「ああ、上手いコピーだな」と思うはずです。「歩く距離の長さを超えた友情」なんて、ちょっといい話じゃないですか。
 しかしながら、確かに「友情を確かめるために、わざわざ駅から60分も歩かなければならない家を買う人はいない」のです。そんなことをわざとやるような人とは、僕は友だちになりたくありません。
 おそらく、このコピーは、言葉として「感心」されることはあっても、「広告」としては不合格なのです。

 「駅から徒歩60分の場所に、駅ができないわけはありません」というコピーのほうは、最初に聞いた瞬間に「そうだな、そのうち駅ができるだろうな」と思わせるインパクトがあります。
 まあ、5分くらい考えているうちに、「でも、駅なんていつできるかわからないし、それまで毎日60分も歩くのはちょっと……」と感じる人が多いのだとは思いますけどね。
 しかしながら、中には、「そうは言っても、今は駅から徒歩60分だからこの値段で買えるのかもしれないし……」という人も出てくるはずです。
 そういう意味では、少なくとも「友だちの話で完結していない」分くらいは、こちらのほうが「すぐれた広告」なのでしょう。
 少なくとも、こちらのほうが「この住宅地を買ってくれるかもしれない人の顔が見えている広告」だと言えそうです。

 実は、こういうのって、「広告コピー」の話だけではなくて、誰かと話をするときやネットに文章を書くときにも考えるべきことなのでしょう。
 僕たちは、しばしば、「読んだ人を驚かせるような、カッコいい、インパクトがある言葉」を使いたがります。「どうだ、オレってすごいだろ!」と内心ほくそえみながら。

 でも、そういう言葉って、上滑りしていくだけで、相手にとっては、単に
「鼻につく言い回し」でしかなかったりしがちです。「オレがオレが」っていう人の話って、誰だって、付き合いきれないものだから。
 そんなことはわかっているはずなのに、実際に「相手に伝えることを意識して言葉を選んでいる人」っていうのは、けっして多くはないのです。
 直接相手の顔が見えないネットではなおさらのこと。

 どんなに「自分にとって優れた言葉」でも、それを求めていない人の心には響かない。
 いや、そもそもそれって、本当に「いい言葉」なの?