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2007年09月12日(水)
「東京から福岡までの距離」と「福岡から東京までの距離」

『逃亡くそたわけ』(絲山秋子著・講談社文庫)より。

(精神科の病院から「逃亡」し、九州を車で南下していた「あたし」と同行者の「なごやん」の宮崎市でのやりとり)

【「久々にネクタイをした連中を見たな」
 そう言ってなごやんは少しだけ表情を曇らせた。
「出張も多いんだろうね。空港近いし」
「飛行機やったら東京もすぐやけんね」
 なごやんは浮かぬ顔でフォークとナイフを揃えて皿の上に置いて、言いにくそうに言った。
「東京から福岡までの距離ってさあ、福岡から東京までの距離の倍以上あるんだぜ。わかる?」
「どういうこと? 一緒やろ」
「遠く感じるってこと」
「そうね」
「俺さ、前につきあっていた彼女に『九州なんかにまわされてかわいそう』って言われたんだ。田舎だからなんだって。ちょっとショックだったよ」
「福岡やったら都会やのに。田舎ちうたら……」
 その先は言わずもがなだった。あたし達は多分、同時に昨日通った悪路を思い浮かべていた。
「福岡って思わないんだよ。全部九州なの。東京から見たら外国。嫌になるけど、俺もそう思ってたからわかる」
 でも、その言葉はもう、自分が半分福岡人だと言っているのと同じことなのだった。
「その彼女、間違っとう」
「うん、でも間違いでもなんでも、仕方ないよな」】

〜〜〜〜〜〜〜

「東京から福岡までの距離ってさあ、福岡から東京までの距離の倍以上あるんだぜ。わかる?」
 九州の地方都市に長年住んでいる僕には、この話、痛いほどよくわかります。たまに東京で働いている人と話すと、確かに、東京で生活している人たちにとっては「九州なんて、福岡も熊本も鹿児島もみんな一緒」なんですよね。九州人は、みんな武田鉄矢かキレンジャーだと思ってる。
 九州に住んでいれば、これらの県というのは、全然雰囲気が違うところだし、今は武田鉄矢もキレンジャーもいないんですけどね(というか、たぶん昔もいなかったのですが)。
 いや、「九州」どころか、「東京以外」のすべてが、彼らにとっては「外国」なのかもしれません。僕からすれば「東京に住んでいる」というだけで、どうしてそんなに優越感を持てるの?という気分になるのですが、「やっぱり日本の中心だし、いろんな人やモノが集まってくる」と言われれば、それを否定もできないんですよね。少なくとも10年前は、「モノ」の面では、それなりに格差があったのは事実です。
 「東京じゃないと手に入りにくい本」がほとんど無くなったのは、Amazonの偉大な文化的功績なのではないかと思いますし。

 話していても、「自分たちは都会で競争にさらされながら頑張ってるんだぜ!」と語る「東京者」には、微妙に気後れしてしまうのです。仕事の内容そのものは、東京だろうが福岡だろうが、われわれの業界では、そんなに差はないはずなのに。

 九州人から言わせれば、「博多」はものすごい都会なのですが、それも、東京の人からみれば「一地方都市」でしかないことが多いんですよね。「九州はのどかでいいよねえ」って、全然のどかじゃないぞ、博多は。
 
 ただし、「博多の人」たちもまた、他の「九州の田舎」(佐賀とか大分とか)の人たちをあからさまにバカにしていたりするんですよね。僕の知人は、博多の街を車で走っていて、「田舎者は博多を走るな!」とインネンをつけられたことがあったそうですし、博多の人の「地元愛」の強さには、僕も辟易してしまうことが多いのです。
 「そう言うけど、世界レベルでの日本の『都会』って、東京だけだろ?」って、ときどき、言いたくなってしまうんですよね。
 もちろん、実際に口には出しませんけど。