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2007年08月18日(土)
『ヤッターマン』の「本当の主役」

『「世界征服」は可能か?』((岡田斗司夫著・ちくまプリマー新書)より。

【悪の組織の目的は、必ずと言ってよいほど『世界征服』でした。目的というより、スローガンというカンジですね。
 子供の頃は、そんな『悪の帝国』が大好きでした。
 もちろん、悪をかっこよくやっつけるヒーローにあこがれるよう、番組は作られています。でも、テレビで毎週毎週見ていると、最初はかっこよかったヒーローも、どうしてもワンパターンに見えてくるじゃないですか。
 敵が出てきたら出動して、やっつける。彼らがするのはそれだけです。
 一方、悪の組織はたいへんです。いろいろ工夫しなければいけません。
 たとえば『仮面ライダー』という特撮番組。
 敵の組織・ショッカーは『世界征服を企む悪の秘密結社」です。番組の冒頭ナレーションでもそう言い切っています。ショッカーは毎週、いろんな改造人間を送り出してきます。デザインも違えば、得意技も違います。
 秘密組織ショッカーは毎回、改造人間をつくり、悪の計画を立案し、警察や仮面ライダーに隠れてこっそり悪事をすすめます。で、その悪事が上手く運び、犠牲者が出ると、ライダーが登場して改造人間をやっつけてしまう。
 当時、熱中していた子供たちの関心は、次の週どんな怪人たちが出てきて、どうやってライダーを苦しめるのかが話題の中心になってきます。
 もちろん仮面ライダーは正義の味方で、毎回勝利するからみんな好きなんですけど、あくまで「お話を進める」のはショッカーの計画と改造人間なんですね。
 アニメの世界でも同じです。
 以前、『BSアニメ夜話』というトーク番組のやめに『ヤッターマン』を百話以上続けて観るという得がたい経験をしました。正直、一気に見るのはかなりしんどかったです。
 しかし、発見もありました。全部で百話以上もある『ヤッターマン』は、完全に話が悪役主導になっていることを確認できました。
 今回、悪の三人組ドロンジョ一味はこんな悪いことを考えた。こんな詐欺で金を稼ごうとしている。そこにガンちゃんとアイちゃんという正義の二人が現れて「何か悪いことをしているぞ、あっ、そこに裏口が!」とか言って追いかけていく。
 悪事の現場を見つけると、「もう許せないぞ、よ〜し、ヤッターマン出動だ!」と戦闘→三人組の敗北となって番組は終わり。しかし翌週でもまた別の所で三人組の悪事を発見して、追いかけて……というパターンが続いていきます。
 完全に悪役が主導です。悪役が毎回、計画を立ててお話をすすめるのに対して、正義の味方はリアクションするだけ。お笑いでいうところのボケとツッコミですね。悪役のほうがボケ、正義のほうが「ええ加減にせえ!」とか「おいおい!」とか「どついたろか!」みたいな感じで戦っているだけなんですね。
 子供の頃、そういうパターンばかり観ていると、だんだんそれに飽きてきちゃいます。
「悪の帝国、何やってんだよ。なんでいつもいつも勝てねえんだよ」
 とか、子供心に考えます。
「ショッカーは、全怪人を一斉に送り出して、日本、アメリカ、中国、アフリカ、ヨーロッパ、南米、オーストラリアと、各大陸であばれさせりゃイイじゃん。ライダーは一人なんだから、絶対成功するよ」
 分離合体怪獣みたいな設定だと「なんで最後にやっつけられるために合体するんだよ」「最初から、一番強くなっとけよ」とか。
 そういうイライラが募ってくると「そんなことをしてるからダメなんじゃん。ちょっとオレにやらせろ!」という気分が高まってきます。
 その気分こそが「将来の夢は正解征服!」の原動力になるのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も『ヤッターマン』が大好きで、土曜日の夕方は欠かさずに観ていたものです。『ヤッターマン』のあと『まんが日本昔ばなし』『クイズダービー』『全員集合』というのが、まさに「お決まりの土曜の夜の過ごしかた」だったんですよね。

 今でも「また観てみたいなあ」と思うこともあるのですが、岡田さんのように「百話一挙に観る」のはかなりキツイだろうなあ、という気はします。ここに書かれているように、『ヤッターマン』(というか、『イッパツマン』の後半を除く「タイムボカン・シリーズ」全体)というのは、かなりパターン化されたストーリーなので、やっぱり続けて観ていると飽きてしまいそう。まあ、水戸黄門の人気を考えると「人間は、一週間に1回くらいなら、そういうワンパターンの話を観るのもそんなに苦痛じゃない」のかもしれませんが。

 それにしても、これを読んでいてあらためて考えてみると、『ヤッターマン』の真の主役というのは、やはり、ドロンジョ・ボヤッキー・トンズラーの「3悪」(+ドクロベー様)だったのだなあ、と思われます。
 『ヤッターマン』の場合、正義の味方、ヤッターマンは、「正義」であるがゆえに、できることが制限されがちですし、子供向けの番組ですから「後顧の憂いを絶つために、何もやっていない状態の『3悪』に先制攻撃!」というわけにはいきません。

 ということで、制作側が「じゃあ、次の話を」ということで最初に考え始めるのは、おそらく「次は『3悪』に何をやらせようか?」だと思われます。結局のところ、各回の差別化は、「彼らがどんな悪事をはたらくか」にかかっているわけです。物語の『主導権』を握っているのは、まぎれもなく悪役のほうなのです。だから、人気があるアニメや特撮には、必ず魅力的な悪役が存在しています。

 『ヤッターマン』の場合は、「3悪」の活動内容だけではなく、「ビックリドッキリメカ」のバリエーションや「おしおきだべぇ〜」の名ゼリフ(?)でおなじみのドクロベー様のおしおきの内容など、かなり「各話を差別化するためのポイント」が多かったのも、長続きした秘訣だったのでしょう。

 まあ、こういうのは特撮やアニメの世界だけに限ったことではなくて、ニュースを観ていると、人間の「悪行」っていうのは、「善行」に比べてはるかにバリエーションが豊かだなあ、と感じずにはいられません。
 「よくこんなひどいことを思いつくなあ……」って呆れることはあっても、「よくこんな善いことを考えたなあ!」って感心することって、ほとんどないですからね……